大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

仙台地方裁判所 昭和58年(ヨ)218号 判決

債権者

鈴木幸夫

右訴訟代理人弁護士

高橋耕

右同

鈴木宏一

債務者

日本国有鉄道

右代表者総裁

杉浦喬也

右訴訟代理人弁護士

井関浩

右代理人

天野安彦

宮田英仁

高橋達雄

安岡昌龍

大葉幸比古

主文

一  債権者の本件申請を却下する。

二  訴訟費用は債権者の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  申請の趣旨

1  債権者が債務者に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

2  債務者は、債権者に対し、金八二万八〇〇〇円及び昭和五八年五月二〇日以降本案判決確定に至るまで毎月二〇日限り、金一四万円を仮に支払え。

二  申請の趣旨に対する答弁

主文第一項と同旨。

第二当事者の主張

一  申請の理由

1  被保全権利

(一) 債権者は、昭和五一年六月一日準職員として、次いで同年一二月一日正式の職員として債務者(昭和二四年六月一日日本国有鉄道法(以下「国鉄法」という。)に基づき設立された、鉄道事業等を営む公法人である。)に採用され、仙台運転所検修一科に勤務した後、昭和五七年一月四日仙台新幹線第一運転所(以下「第一運転所」という。)に配属となり、台車検査係などを経て同年二月二〇日から同所車両検査係として勤務し、同年九月に至った。

当時、債権者が債務者から支給されていた給料月額は、七職一五号俸で基本給金一四万円、扶養手当金七〇〇〇円であり、その支給日は毎月二〇日であった。

(二) しかるところ、債務者は、昭和五七年九月一七日付の通知で債権者を解雇したとして債権者と債務者との間の雇用契約の存在を争い、爾後債権者を債務者の職員として処遇せず、同年一〇月一七日以降の給料も支給しない。

2  保全の必要性

債権者は、債務者からの給付によって生活をし、他になんらの生活手段を持たない労働者であり、債務者の本件処分以後現在まで、同人のアルバイト収入と同人の妻のパート収入合計金七万円に親戚等からの借金によって辛うじて生活を維持している状態であって、本案判決を待っていたのでは著しい損害を被る虞れがある。

3  よって、債権者は債務者に対し雇用契約上の権利を有する地位を仮に定めるとともに、昭和五七年一一月二〇日支給分から昭和五八年四月二〇日支給分までの未払基本給合計金八四万円のうち八二万八〇〇〇円及び昭和五八年五月二〇日以降本案判決確定に至るまで毎月二〇日限り月額金一三万八〇〇〇円の基本給相当額の範囲内の金員の仮払いを求める。

二  申請の理由に対する答弁

1  申請の理由1の事実は認める。

2  同2の事実は争う。

本件仮処分申請後三年有余が経過したが、この間債権者は本件口頭弁論期日に毎回出頭するなど、社会的に安定した生活を営んでいることが窺われるから保全の必要性がない。

三  抗弁

1  解雇の意思表示

債権者には、別紙記載の日本国有鉄道就業規則(以下「就業規則」という。)六六条各号に該当する後記行為があった。

そこで、債務者は、債権者に対し、昭和五七年九月一七日付の通知書をもって、同規則各号及び国鉄法三一条を適用し、債権者を懲戒処分として免職する旨の意思表示をし、同通知はそのころ債権者に到達した(以下「本件懲戒処分」という。)。

2  処分事由

本件懲戒処分の処分事由は、昭和五七年一月九日から九月一六日までの間における債権者の次の行為である(括弧内の号数は、各行為の該当する就業規則六六条の各号を示す。)。

(一) 点呼不参加、点呼妨害(いずれも三号、一七号、(3)の行為についてはその他に一五号)

(1) 一月九日の行為

午前八時五五分ころ、第一運転所検修第一科長大信田尚樹(以下「大信田一科長」という。)が台車検査庫(以下「台検庫」という。)一階で就業前の点呼を行おうとした。同科所属の職員数名が出席していないので、大信田一科長は鈴木助役とともに二階詰所へ行き、在室していた債権者や相沢、菅原など六名に点呼に出席するよう指示した。債権者は右相沢らと共にその指示に従わず、同日の点呼に欠席した。

(2) 一月一一日の行為

午前八時五〇分からの体操に引き続き、午前八時五五分から行われる点呼前に、大信田一科長及び咲山計画助役は、台検庫二階の詰所に在室していた前記債権者ら六名の職員に点呼に出るよう指示した。債権者らは、「詰所で点呼をやれ。」と言って出席しようとしないので、大信田一科長は重ねて点呼への出席を指示した。債権者は他の五名と共にゆっくりした動作で一階の点呼場に向かった。この間に点呼は終了した。

(3) 一月一三日の行為

午前八時五五分からの点呼前に、数名の職員が台検庫一階の点呼場所に出場していないので、大信田一科長と咲山計画助役が二階詰所へ行き、在室していた職員に点呼に出席するよう指示した。債権者らは前同様点呼を二階詰所でやれと言った。大信田一科長が点呼場所に戻ると、債権者は相沢、菅原の二名と共に詰所からスチール製の椅子を持ち出し、詰所から点呼場所へ通じる階段を大きな音をたてながら引きおろし、点呼場所に入り他の職員の立っている前に椅子を並べてこれに掛け既に始まっていた点呼を妨害し、そして、大信田一科長が立って点呼を受けるよう指示すると、「うるせえ。」と大声で言って、立とうとしなかった。

(二) 暴言等(いずれも一五ないし一七号、(3)、(9)、(11)の行為についてはその他に三号)

(1) 二月八日の行為

〈1〉 債権者は、午前九時二〇分ころ、第一運転所現業事務所四階の詰所(技術管理グループや、交番検査グループの日勤勤務の車両検査長、車両検査係及び車両検修係が在室する詰所で、以下「日勤詰所」という。)で村田助役に対し、既に職場内教育が実施され、実習中休んだ項目についても補習の必要がないのを知っていながら、大声で「実習中の年休日の補習をどうするのか。」と質問した。これに同助役が、実習と今回の職場内教育とは無関係に実施しているから補習はしないと答えたところ「なに、前回の実習時に補習をするといったじゃあねえか。」と大声で叫んだ。

〈2〉 債権者は、午前九時二五分ころ詰所に隣接する検修二科助役室(以下「二科助役室」という。)に入り、「科長に聞く、実習中の年休の補習をしないと仕事が出来ないと思うが、どう思うか。」と述べ、大谷検修二科長(以下「大谷二科長」という。)が仕事が出来ないとすると実習は終ってないということになると答えると、債権者は、「なんだこの野郎」と怒鳴りながら、自席で執務していた大谷二科長に接近し、大声で「前回の実習中には補習をすると言った。」「未修了の話は別にしても補習しないと仕事が出来ないでないか。」と発言し、大谷二科長が、「実習が終ってることは仕事が出来ると考える。色々問題があるなら組織を通じてあげるよう。」言うと、債権者は大声で、「なんだ、この野郎、俺は個人で聞いているんだ。」と発言し、大谷二科長から、誰に向かって言っているのだと言われると、大谷二科長の上衣の胸部につけている名札すれすれまで指先を突き出し、さらに、大声で「お前にだ、この野郎威張って何様だと思っているんだ。実習中に年休をとったところは仕事はしねえからな。」と繰り返し叫んだ。同二科長が、自分で勉強するよう言うと、債権者は「この野郎、俺に運転所全体を明け渡して貸すか。出来ねえだろう。」と発言し、大谷二科長から、講習に行くようにと指示されると、「行くが昼にはこの話でまた来るからな。」と言って、午前九時二七分助役室から退室した。

〈3〉 債権者は、午後一時四〇分ころ再び同助役室に入ってきて、村田助役に、「実習のとき俺がなにを休んだか。」と尋ねたので、同助役が表を見せた上、「休んだ項目は今回の講習内容に入っており問題はない。」と答えたところ、債権者は「皆はこれで二回目となり、俺は一回だ。一回分しか仕事をしないからな。」と言いながら退室した。

(2) 三月一〇日の行為

債権者は午前九時ころ村田助役に対して、日勤詰所で前日の九日第一運転所に着任した転入職員に対し村田助役が説明した事項について、「助役年休抑制をやるとか、病院へ行くときも証明書を出せとか、昨日言ったそうだな、撤回しろ。仙台運転所ではなかったぞ。」と大声で言った。同助役が「年休抑制もあり得るし、病院へ行ったときは証明書になるものを出してもらう。」と言うと、債権者はさらに大声で「なぜ年休抑制するのか、予備はとってあるのか、要員が少ないのだろう。年休は申込んだら全部とれなければおかしい。年休は俺達の権利だ。」と発言し、そして、同助役が「予備はとってあっても、年休抑制はあり得る。」と言うと、債権者は大声で、「俺に年休抑制をやってみろ、車に火をつけてやるからな。ぶっこわしてやる。」と発言した。

債権者は、同室に居た吉村検査係から「鈴木、仕業だろう。早く行け。」と声をかけられ、退去した。

(3) 三月一九日の行為

債権者は午前九時三分ころ、二科助役室に入り、在室していた土屋助役に向かって、「助役、また俺に見習いが付いているが、どういうことだ、教えることなんかできない。」と言った。同助役が債権者は教えることができると判断していると言うと、債権者は「一年位したら、いくらでもやってやるが、今日はだめだ。」と応じなかった。大谷二科長は、債権者に見習いに教えてやるよう指示した。債権者は、「本人がだめだと言っているんだからだめだ。俺を外すか見習いを外すかどっちかにしろ。」と大声で発言した。このことを聞いて助役室に入ってきた動労支部交渉部長高橋博が債権者を退室させた。

(4) 三月二四日の行為

車両検修係片桐から翌二五日の半休の請求があった。鈴木助役がこれを断ったところ、午後四時四五分ころ、片桐は債権者、門間、相沢、菅原を伴って検修一科の助役室に入り、鈴木助役に翌日の半休の付与を強く求めた。鈴木助役が同人らに対し、半休の付与ができない旨を説明し、その場に居合わせた大信田一科長がその理由を説明している途中、債権者は同一科長に向かって、「ふざけるな、大信田。」「大信田のばか野郎。」と大声を上げ、さらに、門間と共に同助役室に備え付けてある年休申込簿を手で持って、「こんなものなんだ。」と発言した。さらに、債権者はライターを取り出して、右年休申込簿を左手で下げるように持ち、火を付けるような格好をした。

午後五時ころ、池田も入室してきて、大信田一科長と時季変更権、年休申込簿について問答のやり取りをした。その間に池田は、同一科長が立っている直前の机の上に年休申込簿を叩きつけ、大声で「こんなものが正式な年休申込みと思っているのか。」と発言し、年休申込簿を頭上から机の上に三度にわたって叩きつけた。当時右助役室には外部の人が仕事のことで来室し、検修助役高橋盛行と面談していた。この騒ぎにいたたまれなくなり仕事なかばで帰って行った。

(5) 三月二九日の行為

午前九時八分ころ、門間は二科助役室に入って来て、「今日の張付けはなんだ。交番検査の見習が終ってないので仕業にはつかない。」と言って土屋助役と何回かやりとりをした後土屋助役は机に向かい仕事を始めた。

ところが、門間より少し遅れて助役室に入って来た債権者が、「大きな顔をしてこの野郎。」と大声で言って土屋助役に詰めより、一方、門間は大谷二科長に向かって、「仕事につかない。」と言った。同二科長は門間を指差して、「業務命令を出します。九時三〇分業務命令仕事につきなさい。」と通告したところ、門間と近くにいた債権者は口々に「業務命令だこの野郎、書面で出せ。」と大声で怒鳴った。同二科長は再び門間を指差し「口頭で業務命令を出します。九時三〇分業務命令、仕事につきなさい。」と通告したところ、門間は土屋助役の方に向かって「仕事につかない。」と繰り返し、業務命令に応じなかった。

(6) 四月七日の行為

債権者は午前八時五七分ころ、二科助役室に入り、土屋助役に対し、「分かることしか教えないと言ったのに、見習いを付けておいて、あれで見習いは終りか。」と発言した。同助役が分かることしか教えられないのは誰でも同じだと言うと、債権者は、「なにを語っていやがる。この野郎、説明しろ。これで本番に使う気か。」と大声を上げ、同助役に接近した。土屋助役がやれるかやれないか見習者本人に聞いてみると言っているところへ、騒ぎを聞いて入ってきた動労支部交渉部長高橋博が、債権者に言葉に気をつけるよう注意した。債権者はこれも無視して土屋助役に対し、「なにを言っていやがる。この野郎、俺にこれから見習いを付けたら承知しねえからな。見習いを断ったらいけないとの規程でもあるのか。」と大声で発言した。大谷二科長から仕事に行くよう指示され、午前九時六分ころようやく退室した。

(7) 四月一五日の行為

債権者は午後三時四五分ころ、二科助役室に入り執務中の土屋助役に対し、早退の申出をし、同助役から拒否されると、「腹痛なのにだめか。」と繰り返し発言した。同助役が理由ではなく所長から早退を許可してはいけないと言われていると話すと、債権者は、所長に電話したいというので同助役が所長に電話し債権者に取り次いだ。債権者は所長に対し、「俺が早退を申込むと助役は所長に連絡してくれと言っているが、第一運転所はすべて所長に言うのか。変っているな。」と発言し、所長は、「助役でいいよ。」と話すと、債権者は、再度所長に電話して「腹が痛いので早退させてくれ。」と述べ、所長が、「医者に行くのなら診断書を持ってこい。」と言うと、債権者は、「家に帰ってからの経過により病院に行くかどうか判断する。」と発言した。所長が、「そんなに痛いなら、助役と一緒に病院へ行け。」と言うと、債権者は、「助役に迷惑をかけたくないし、そこまで痛くない。」と答えた。所長は「それでは我慢しなさい。ここにはベッドもあるし、薬もある。」と述べた。すると、債権者は、「すべて早退はだめなのか。」と質問し、社会通念上やむを得ないものは許されると答えると、さらに「俺のみ早退を認めないと助役は言っているがどうか。」と問うので、所長は、「あんたのみでなく、全体的に早退は原則として認めないと助役に指示している。」と答えた。そして、午後四時五分、債権者は、所長から債権者と応対するよう指示されて二科助役室へ来た大信田一科長と同じことで話し合っていたところ、突然、「この馬鹿野郎大信田」と大声で発言し、「メモしてみなよ、大信田」等と言いだした。大信田一科長は村田助役の席に着席してメモを取り始めた。すると、債権者は、腕組しながら前かがみとなり、自分の顔を大信田一科長の左横から同科長の顔に近づけ、同科長をにらみつけ、じっと動かずにいた。

同科長は、「人を馬鹿にした態度ではないか。」と強く言い、隣席にいた渡邊助役も、ひどすぎますと同調した。債権者は、「あ、そうか、俺は腕組をしているからな。」と言いながら顔を離したが、なおも同科長の言葉をとらえて発言をした。同科長が、仕事の邪魔になるから部屋を出るよう指示すると、午後四時一五分ころ退室した。

(8) 四月三〇日の行為

五月一日から臨修徹夜に配置換となる予定の債権者と門間が四月三〇日午前一〇時三〇分ごろ、二科助役室に入り、門間が「笹木助役、俺の明日の勤務はどうなっているのか。」と質問したので、笹木助役が「出勤」と答えたところ、債権者が「田島助役に聞いていないのか。」と声を荒げて発言した。大谷二科長がなんの話だと問うと、債権者と門間は口々に「点呼の話だ。」と言うので、同科長は始業点呼は日勤詰所で行い、指示の細部は車両検査長に対してする、終業点呼も同じ場所で行う旨話したところ、債権者は、「帰りの点呼は八時四〇分まで向こうの詰所で待っているからとりに来い。それが出来なければ泊りはやめた。」と述べた。

大谷二科長は「泊まりをやめることはだめだ。」と答えた。すると、債権者と門間が「なぜ向こうの詰所でやれないのか。」と再三にわたって発言した。同科長が黙っていると債権者が二科長に「能なし科長。答えられないのか。やめろ。それでもあんたは科長か。」と発言した。渡邊助役が退去を指示したところ、債権者は、渡邊助役に向かって大声で、「馬鹿。なんだと、あんたは誰だ。説明を聞いているんだ。」と大声で発言した。渡辺和由車両検査係から、連絡を受けた佐藤総務科長が二科助役室に来て、債権者と門間に事情を聞くと、両名は口々に、「明日からの泊りはやらないと言っているのだ。」と答えた。総務科長が、「希望して泊りとなったのだろう。」と言うと、両名は、「泊りの内容が不明確なのできいている。泊りの点呼の場所を向こうの詰所でやってもらいたい。」と言った。総務科長は管理者の指示にしたがうよう指示すると、門間は「お前に聞いているんではない。」と大声を出した。総務科長は、門間に対し言葉を慎しむよう注意した。債権者は、なおも大谷二科長に対し、「なぜ、向こうの詰所でできないのか。八時四〇分まで作業時間だろう。向こうにいて八時四〇分になったら帰るからな。」と言った。債権者は帰りの点呼はどんなことをやるのかと聞いたので、大谷二科長が連絡事項告知とご苦労さまと言う挨拶をすると答えると、債権者は、「ご苦労様が点呼か、門間メモしておけ。」と叫んだ。

その後も、債権者、門間は同科長に対し再三、「点呼は向こうでやれ、向こうでやれない理由はなんだ。」と言ったが、同科長が黙っていると、債権者は、「能なし科長、答えられないのか、やめろ。」と大声で怒鳴った。総務科長が、「なんだ、そのいい方は、口を慎しめ二科長がやると言っている。点呼に来い。」と指示すると、債権者は、「来いだと、向こうへ点呼に来い。」と大声で発言し、門間も「頼んで点呼をやってもらっているのではない。」と大声で言った。

総務科長が、「君らに頼んで仕事をしに来てもらっているのではない。君らは仕事をしに来ているのだろう。管理者の指示に従うことだ。」とたしなめると、債権者は、「お前に金を貰っているのではない。総務科長はなんでここにいる。」と発言した。総務科長は、「ここにいるのは職員管理の仕事であり、君達こそ作業場にいなければならないのに、なぜいるのか。」と注意した。債権者、門間は、「明日からの仕事だからきいているのだ。」と言って、同二科長に、「なんで向こうでやらないのか。」と繰り返して述べた。同科長はこれを無視した。

渡邊助役が、退室するよう言ったところ、債権者及び門間は、「なんだと、馬鹿、渡邊助役、判らんからきいているんだ。二科長、ここが邪魔なら向こうに来い。」と発言した。大谷二科長が、仕事の邪魔になるから出るようと指示すると、債権者、門間は、「二科長、向こうへ来い。」などといった後、「また話をききに来るからな。」と言って午前一一時三分退室した。

(9) 五月一三日の行為

田島助役が午前八時五〇分ころ、臨修徹夜班に新幹線電車のパンダグラフの舟体取替の作業指示をした。同助役は八時五五分ころ日勤詰所の助役室寄りにある技術管理班席の付近で、債権者と門間に呼び止められ、債権者が「門間は、舟体取替の訓練を受けていないので作業ができない。できる人をもう一人臨修徹夜班につけろ。」と言った。同助役は、大江検査長や小野寺検査係から教えてもらって作業するよう指示したが、債権者と門間は繰り返し強く要求した。そこへ、土屋助役から連絡を受けた大谷二科長が来た途端、債権者は「田島助役にきいているんだ。」と大声で発言し、門間も「二科長には関係がない。処分を早く出せ。よう出さんか。」と大声で言った。

大谷二科長は、債権者と門間に対し、田島助役の指示どおり、検査長や検査係にきいて仕事をやるよう指示し、助役室へ行った。

(10) 五月二五日の行為

債権者は午前八時二七分、門間と共に、二科助役室に来て、大谷二科長に対し、四月五日の否認処理(賃金カット)が、四月末日現在では出勤簿に押してなかったと抗議し、同二科長が出勤簿を見ていないから判らないと答えると、債権者は、否認の処理について通告を受けていないと言った。この否認処理(賃金カット)の件は、四月九日所長室で総務科長から債権者に通告してあった。同二科長がその旨を説明しても、債権者は聞いていないと発言し、「俺が聞いていないと言っているのだ。二科長はどこの科長か。聞いていないと言っているのだ説明してくれ、だんまりか。そんな科長なら案山子でもおいておけ、黙って給料から引いて泥棒。」と大声で発言した。同科長からの連絡を受けて来室した大信田一科長が債権者に「その話は通告してある。」と述べた。債権者は、「聞いていない、何時言ったのか。」と質問した。同一科長は、通告の日時を正確に記憶していなかったので、総務科長に電話連絡し、総務科長と債権者が電話で話し合った。債権者は、「賃金カット、否認扱いについて聞いていない。」と発言し、総務科長が、「所長室で私から話した。あなたも帰ったことを認めた。」と説明した。すると、債権者は、「所長室で言ったのが通告か。あんな現認で現認になるのか。時間は四〇分で、なぜ一時間引く。」と述べ、総務科長が、「規程に基づいて行ったまでだ。職員は知っているはずだ。」と言うと、債権者は、「職員は知っているだと。教わっていない。自分で勉強しろだと。どこに本がある。本を皆にくれるのか。」と言うので、総務科長は「全員に配布するものではない。規程は総務科においてある。判らなければそれを見なさい。」と言って電話を切った。すると、債権者は、大信田一科長に対し、四月五日の債権者らの職場離脱の現認について、「運転台側にいた人より後にいた人を現認するなどあれで現認か。」と言い出した。そこで、大谷二科長は、退室するよう指示した。債権者は、「欠勤簿はここにあるだろう。」と言って、同二科長の指示をきかなかった。同二科長は再三にわたって退室の指示をし、大信田一科長も「二科長が八時四〇分から五回も出なさいと言っている。出なさい。」と指示した。債権者は、「公務執行妨害とでも言うのか。」と発言し、同一科長がその類になると答え、大谷二科長が、仕事の邪魔だから出るよう指示した。債権者は、「欠勤簿のことを聞いているのだ。」と言い退出せず、大信田一科長の退室の指示にも同一科長は関係がないと言ってこれを無視し、手拳で大谷二科長の机を強く叩いた。大信田一科長が佐藤総務科長に電話し、大谷二科長が債権者と門間に仕事の邪魔になるとして何回も退室を求めても出ないので二科助役室に来てもらいたいと話したところ、門間は、「総務科長に佐藤さんだとよ、実力排除でもするのか。」と発言し、債権者と門間は午前八時五五分総務科長が来る、帰ろうと言ってようやく退室した。当日の朝は、その翌日から予定されていた夜間仕業(仕業パート)の人選のため個々の職員に当り説得中であり、科長、助役は多忙を極めていたが債権者らの右行為のため調整業務に支障を生じた。

(11) 六月四日の行為

六月三日午前九時ころ、債権者は、門間と共に二科助役室の入口で田島助役に対し、「六日に年休を申し込む。今晩までに返事をくれ。」と言うので、同助役は「当ってみるから少し待て。」と返事した。翌四日午前九時、点呼終了後、現業事務所三階の詰所(変則勤務の職員用詰所)で債権者、門間は、阿部助役に対しそれぞれ「年休はどうなった。」と問うので同助役は、「人が回らないため年休はやれない。」と答えると、両名は、口々に「パートだけで年休を消化するのか。」、「パートだけで回らないのは理由にならない。」と発言し、債権者は、二科助役室にいる大谷二科長に電話し、「年休の話は知っているだろう。科長がとめているのか。」と言った。同科長は助役が年休が出ると言っているのかと聞くと債権者が出ないといっていると答えた。同科長はそれなら年休は出ないと答えた。すると債権者は、同助役に対し、年休を出さないのなら時季変更権を行使する理由を述べよと発言し、阿部助役がパート内に当ったが代りの人が見つからないと答えると、「それでは理由にならない。」と述べた。

午前九時一二分ごろ、債権者は門間と共に二科助役室に来て大谷二科長に対し、「二科長、年休をどうして出さない。」と発言し、同科長が助役が代りの人を当ってみて出ないのなら年休は出ないと答えると、債権者は「時季変更権か。パート内から代りがいないと言って行使できるか。」、「時季変更権が使えるのか。」と言い出した。同科長が、「年休は出せない。時季変更権を行使する。」と告げ、門間のどんなときでもパート内で処理するのかとの問いにその議論はしないと言うと、債権者は突然「なにこの野郎」と大声を上げて同科長の机を右手拳で叩き、つづいて同科長の机の左端に手をかけて机を持ち上げようとした。阿部助役がこれを制止した。

債権者は、午前九時三〇分頃「二科長、臨徹(臨時検修徹夜班の意)を六月二三日には皆出ると言っているからな。」と言って退室した。

(12) 六月二三日の行為

債権者を下位職代行から検査係としての本来の業務につけるため検査係見習として交番検査係(以下「交検」という。)の作業の二つのユニットに付けたところ、午前九時三四分、債権者が土屋助役に対し電話で「一日交検の講習を受けていないから見習は出来ない」と言ってきた。同助役がそれは先日の机上講習で教えた旨伝えると、債権者は、「時間外で行う講習は終っていない。」と言うので、大信田一科長が電話に出て、再度机上講習で終っていると言うと、「終っていない。こっちへ来い、話しがある。」と発言した。同一科長は作業につくよう指示して電話を切った。しかし、債権者は、再度同内容の電話をかけてきたので、大信田一科長は再び作業につくよう指示した。

債権者は、その後三回に亘って大谷二科長にも同じ内容の電話をかけてきた。同科長も大信田一科長と同様の指示をし、三回目には九時三五分に作業につくよう指示して、電話を切った。ところが債権者は、さらに午前一一時一五分ころ門間と共に二科助役室にきて、土屋助役に対し、検査係の見習について質問してきたので、同助役が説明したところ、債権者が、「この野郎、なんだその口のきき方は」と大声を上げたので、同助役は右両名に対し、部屋から出るよう指示した。債権者らは右指示に従わず、右両名に応対するために二科助役室に来た大信田一科長に対し、門間が、「ふざけんじゃねえぞ、尚樹。」と大声をあげて同科長の名を呼びすてにし、債権者も同科長に近づき、自分の顔を同科長の顔に接近させて息を吹きかけるようにした。同科長が、仕事の邪魔になるから出るよう指示したが従わず、午前一一時二九分ようやく両名は退室した。

(13) 七月二二日の行為

債権者は午後零時ころ、門間、宮崎、相沢らと共に第一運転所台車検査係(以下「台検」という。)助役室に入って来て、鈴木助役に対し、相沢に七月二六日に年休を出すよう求めた。同助役は、相沢に対し、既に年休を与えられない旨を伝えてあった。同助役が債権者らに対し右年休を許可できない理由を説明しても納得しなかった。在室していた大信田一科長も同人に同旨の説明を始めた。すると、債権者が門間と共に同科長に左側から近付いてきた。同科長が債権者らに向かって年休を与えられない理由の説明をつづけると、債権者、門間は急に口々に「馬鹿野郎。」「この野郎。」「大信田。」等と大声で言い、同科長が口が過ぎるぞ、と注意しても、両名はますます同様の発言を大声で続けた。そして、債権者において同科長の身体に強くつめよろうとし、宮崎に制止された。その後、同科長から冷静に説明を受けた宮崎が債権者らをなだめて午後零時二〇分退室した。

(14) 八月一〇日の行為

債権者は午前八時五六分ころ、門間と共に二科助役室に入って来て笹木助役に「交検の回しはどのようにするのか。」と質問した。交検の回しとは、運転台、ユニット、上回り等各種の交検パート内の担当業務を順次交代して行くことを意味し、七月下旬、労使間において二週間交代で行うことが合意され、八月二日から実施されていた。同助役が、点呼後の検査長への細部の作業指示等で多忙のため分らないと答えると、債権者は、土屋助役に、「二週間固定と言ったが、その後の回しを点呼で説明しろ。」と言った。同助役が「検査長とも相談してやる。」と答えると、債権者は同助役にむかって、「なにをこの野郎。」と発言し、大谷二科長に向かって「二科長はどうなんだ。」と言ってきた。自席の前に立っていた同二科長は、債権者に対し、勤務時間だから仕事に行くよう指示すると、債権者は「この野郎、それしかいえないのか。」と発言し、吸っていた煙草の煙を同科長の顔に吹きかけ、身体を同科長の左側面に押し付けてきた。同科長が債権者に対し再度仕事に行くよう指示し、腕時計をみたところ、債権者は、「そんな腐ったような時計より大きな時計があるだろう。」と言いながら再び身体を押し付けた。そこで同科長は債権者に、八時五九分仕事につけと指示した旨通告した。債権者は説明を受けにきたと発言しながら、右通告に従わず、午前九時三分、池田車両検査係も助役室に来て債権者側に加わった。同科長が仕事に行くようと再三指示したところ、午前九時七分仕事に行った。

この間、債権者と一緒にきていた門間は、すこし離れたところで時々、「なんだ、この野郎。」と発言していた。

(三) 暴力的行為等(いずれも一五ないし一七号、(1)、(2)の行為についてはその他に三号)

(1) 八月一二日の行為

債権者は午後四時ころ、門間や熊谷、鈴木両検修係らと共に二科助役室に入って来て、小島検修係の年休請求の件(小島が八月一三日の年休請求したが、年休の承認には枠があり、一応順番で整理しているところ小島は下位、他の上位の請求者に都合を聞いたがすべて断わられてしまったため同日の年休は業務の都合上与えられないと断ったこと)で質問し、笹木助役に「病気でも年休が出せないのか。」「明日、腹が痛いから休む年休をくれ。」などと発言し、同助役から請求されても年休の枠がないため出せないと断わられると、門間が自分の年休カードを取り出して八月一三日と記入して年休請求し、同助役との間で「年休を出せ。」「出せない。」のやり取りが続いた。

連絡を受けて来た大谷二科長が同助役より事情の説明を聞き、小島に対し年休は出せない、別の日に予約をとるよう通告したところ、債権者と門間が「なぜ出ないか説明しろ。」と言い出した。同科長は右両名に対し、午後四時三二分退去の指示をした。すると債権者は同科長に近寄り息を吹きかけた。同科長は「汚い息をかけるな。」と注意し、退去を指示した。債権者は自分の右上謄部を同科長の左側面に押しつけた。同科長は、「さわるな。」と注意し、「出て行け。」と重ねて強く指示した。債権者は、同二科長に再三身体を押しつけ、門間と共に「それだけしか言えないのか。」「能なし科長。」と繰り返し発言した。

同科長が自分の席に戻ると、後からついてきた債権者が門間と同二科長の机の前に立った。同科長が仕事の邪魔になるから出て行くよう指示すると、債権者は、同科長の机の前面の左端を、門間は同右端をそれぞれ蹴とばした。そして、債権者が机の左側を、門間が右側を持って、持ち上げて落し、机を右側へ約三〇センチメートル移動させた。同科長は「やめろ。」と制止し、「仕事の邪魔になるから出て行け、午後四時三二分に指示してあるぞ。」と強く指示した。

債権者は、「この野郎それしか言えないのか。」と言って、同科長の空いている椅子を約二メートル右へ動かした。その後、その椅子を所定の位置に戻し、これに腰を掛けた。同科長は債権者に、「椅子から立って出て行け。」と強く指示した。債権者は同二科長の椅子に腰掛けたまま、門間と共に、「年休がなぜ出ないか説明しろ。」と大声で繰り返し発言した。同科長が、「出ないものは出ない。出て行け。」と強く指示した。すると債権者は、椅子から立ち上り、同科長の机の左側を、門間がその右側を持って、再び持ち上げて落とし、約六〇センチメートル左側へ移動させた。その後、債権者が机の前面左端を、門間が同右端をそれぞれ足蹴りした。このため、両端下段の引き出しが飛び出した。

さらに債権者は、「関係がないと言うなら、俺も年休を申し込む。」と言って、年休カードに書き込んで、「なぜ年休を出せないのか。説明しろ。」「馬鹿野郎大谷。」「能なし二科長。」と繰り返し発言し、午後四時五一分門間と共に「明日休むからな。」と言って、助役室から退去した。

午後五時二分、債権者は再び、助役室に入ってきて、自席に座っていた同科長のところにきて右側に回り込み、顔を近付け、のぞき込むようにして「能なし。」と言い、同科長が黙っていると、債権者は、「口もきけないのか、この野郎。」と繰り返し発言し、午後五時八分退室した。

(2) 八月一三日の行為

債権者は午前八時二七分ころ、二科助役室に入り、笹木助役と年休がどうなったかとのやり取りをした後、大谷二科長に対し、「二科長、年休はどうなった。」と問うたので、同科長が「出ないと言っただろう。」と答えると、債権者は、「時季変更権か。」と言うので、同科長は「そうだ。」と答えた。すると、債権者は、「なにをこの野郎、休みも出せないくせに『そうだ。』だと、『そうです。』と言え。」と言って、同科長の椅子の左側に回り込んできた。同科長が「口を慎しめ。」と注意すると、債権者は顔を同科長の顔に近付け、「そうですと言え。」と発言した後、煙草を吸って煙を同科長の顔に吹き付けた。同科長は「そんなことをしていいと思っているのか。」と注意し、「邪魔だから出て行け。」と強く指示した。債権者は、「なんだこの野郎。」と言って、再び煙草の煙を同科長の顔に吹きつけ、同科長の座っている椅子の脚を強く蹴とばした。同科長が債権者に、「今、なにをした。蹴とばすとはなにごとだ。」と注意すると、債権者は、「蹴とばしたのではない。さわったんだ。」と言いながら、自分の脛を同科長の椅子の肘掛けに押しつけた。同科長が「間違いなく蹴とばした。」「邪魔だから出て行け。」と強く指示すると、債権者は、「なにをこの野郎、こら大谷、年休も出せないくせに、それだけしか言えないのか、ボケ、カボチャ野郎。」と繰り返し発言した後、笹木助役の所で年休カードの処理を確かめ、午前八時三二分退室した。

(3) 九月三日の行為

債権者は午後四時三五分ころ、二科助役室に来て、笹木助役に「九月六日年休をくれ。」と請求したので、同助役は、「年休枠四名のところ、四名とも与えているので年休を出せない。」と答えた。債権者は、「年休がどうしても欲しい用事がある。」と言って、年休カードに書いて同助役に提出した。同助役は改めて年休は出ないと通告した。債権者は同助役に「五人目が病気の時はどうする。」「病院へ行くから年休をくれ。」と言った。同助役が「用事だと言ったり、病院だと言ったり、あんたの言っていることはさっぱり分からない。」と言ったところ、債権者は、「じゃあ、病気の時はどうする。」と発言し、同助役が「病気で病院へ行き診断書を提出すれば病気扱いとなって別の扱いとなる。」と言うと、「病気なら休め、そうでないとどうして休めないんだ。」と発言した。そこへ土屋助役が現場から帰ってきた。債権者は同助役に、「どうしても年休が欲しいからくれ。」「だめなら病院へ行くから年休をくれ。」と要求した。同助役が「明日、病院へ行くように。」と話した。債権者は、「病院へ行くのに休ませないのか。」と言い出し、同助役が「病院の診断書を持ってくれば病気扱いとなる。」と再度答えると、債権者は、「診断書がなんでいる。お前は医者か、それ診てくれ。」とシャツを捲り上げて、上半身を見せ、そして、「二科長に聞く。」と言って、笹木助役に提出したカードを持って大谷二科長の席に行き、「年休をくれ。」と発言した。同科長は「助役が答えたとおり年休は出せない。時季変更権を行使する。」と通告した。

すると、債権者は、同科長の椅子の左側に回り込み「年休をくれと言っているんだ。」と発言し、同科長の机の上に年休カードを置き、同科長の座っている椅子の肘掛けを脛で強く押し、約三〇センチメートル右へ動かした後、肘掛けを履いていた雪駄を脱いで足で蹴った。同科長は「蹴るな。」と制止し「邪魔だから出て行け。」と強く指示した。債権者は、「蹴ってはいない。さわっているだけだ。」と言いながら、続けて三回肘掛けを蹴った。それから、債権者は、同科長の机の上に置いてあった自己の年休カードを取り、その年休カードで同科長の顔の正面を二回叩いた。同科長は「なにをする。」と注意し、「出て行け。」と指示した。債権者は同科長の机の上に、同科長に向かって腰を掛け「年休をくれ。」と引続き発言し同室していた渡邊助役が、債権者に「その態度はなんだ。」と注意し、出て行くよう指示した。債権者は、同助役に向かって、「なにをこの野郎、写真でも撮るか。」と大声で言った。同科長が同助役に写真を撮るよう指示し、同助役が写真機(ポラロイド式)を持って来かけると、債権者は急いで同二科長の机から腰をはずし、「それ、チャンスは一度しかないぞ。」と言って、顔を同科長に近づけ、なお、「年休を出せ。」と発言した。渡邊助役は、この間に写真一枚を撮影した。

そこへ、早坂動労支部委員長が来て、同科長や債権者と話合をし、午後五時一四分、債権者は退室した。

なお、同二科長が早坂と話しをしているとき、債権者は、渡邊助役に先程撮った写真を出せといって身体をくっつけて押した。

(四) 業務妨害(いずれも三号、一五ないし一七号)

(1) 二月五日の行為

午前八時五五分からの点呼の際、当日から始まる台車交換訓練の作業指示がなされた。午前九時二〇分ころ、債権者と池田、梅森ら六名が高橋、鈴木両助役に対し、右訓練方法が気に入らないといって強く抗議した。大信田一科長及び咲山計画助役も加わって、事情を説明したが納得しなかった。そこで、同科長は、午前九時四〇分ころ、動労支部書記長に状況を説明し、これ以上時間を空費すると業務に支障するので業務命令を出す旨通告したところ、動労支部書記長は前記職員を説得して作業に就かせた。

当日、債権者は、他の五名の職員と共に台検から検修二科へ移動するための引っ越しをすることになっていた。そして、大信田一科長から移動対象者は全員直ちに検修二科へ行くよう指示されていた。債権者は同科長に対し、「うるせえ、他の奴らを連れて行ったら承知しねえからな。」とにらみつけながら大声で発言した。

そのため、他の移動対象者五名も引っ越しすることをためらい、鈴木助役が検修二科へ移動する職員を案内したのは、午前一〇時二〇分ころとなった。

(2) 六月一七日の行為

六月二三日の東北新幹線の開業を控え、職員の希望を調整して各パートに配置したが、未確定の一二名中四名を希望外のパートに早急に配置する必要が生じた。

六月一七日午前八時五〇分からの点呼時、笹木助役は、関係者の氏名を呼び上げ、午後零時四五分から人選を行うので、その時刻に助役室に集合するよう指示し、さらに午後零時四五分ころ村田助役が詰所で関係者に対し助役室に集まるよう呼びかけたところ、人選には関係のない債権者が「なんで助役室に呼ぶ、詰所でやれ。」と繰り返し発言した。大谷二科長、渡邊、村田両助役は、詰所の関係者の多くいる出入口付近まで行き、助役室へ集合するよう引き続き呼びかけたが、債権者の右発言を気にして、関係者が席を立とうとしなかった。午後一時一旦人選を打切り、関係者に対し午後四時四五分ころから再び人選を行うから助役室に集まるよう指示した。しかし、前記債権者の発言を気にして関係者が助役室に集まらないため、午後四時五〇分ころ、二科長と渡邊助役は、詰所内の南端のロッカー脇の車両検修係のテーブルの近くで、関係者を集め、人選をはじめたところ、人選に関係のない門間が既に解決済みの三階詰所勤務の人員の調整問題を持ち出して「三階の調整はどうなっている。」などと大声で発言を繰り返した。大谷二科長は、関係する職員の技術がほぼ同程度であり、転入して間もないため、特性が把握し難いこと、人選のための時間の余裕もないこと、関係者のほとんどが所属する国労分会では一方的に指名されることを嫌い、調整できない場合は抽選によるも止むなしとの態度であったことなどを理由に関係者に抽選によることを提案した。債権者は門間と共に「それが調整か。」などと大声で発言をし、同科長が「君には関係がない。」とたしなめてもなお発言を続けたため、同科長は人選が困難であると判断し、午後五時、右人選を打切った。右妨害により、パート分けの人選業務に支障が生じた。

(五) 早退等強要、威嚇、いやがらせ(いずれも一五ないし一七号、(5)の行為についてはその他に三号)

(1) 四月九日の行為

債権者は四月九日所長室で伊藤栄志第一運転所長より日常の行動について注意を受け、また、職場離脱については賃金カットする旨の通告を受けた。その直後である午後四時三三分ころ、債権者は門間と共に二科助役室に来て、債権者が大谷二科長に対し「所長からなんの話があったか、聞いたか。」「聞いておけ、お前達がそれまでやるなら俺もやるからな。」と、門間も、「売られたからには受けて立つからな。」と脅迫的な発言をし、さらに、債権者は、「これからは間違いではすまされないからな。」「こないだ土屋助役がすみませんと言ったが、許さないからな。」「土屋助役も聞いておけ。」と発言した後退室した。

(2) 四月一六日の行為

債権者は午後四時三〇分ころ、二科助役室に入り二科助役室に村田助役の席に着席していた大信田一科長に対し、「歯が痛い、早退すっから。」と言った。同科長は診断書を持ってくるなら認める旨答えたところ、債権者は、「病院へ行ってみないとやっているかどうかわからないので、診断書を持ってこれるかどうか分からない。」と言った。同科長は、債権者の返事の内容と本人の表情から早退を認める程度のものではないと判断し、許可をしなかった。債権者は、「何故だめなのか。」と早退を認めるよう求め、拒否されるとソファーにかけていた大谷二科長に向かって、「二科長に聞く。」と言い、同科長の椅子の左横に回り込んできて前かがみになって顔を接近させ、脅迫的態度と口調で、「なぜだめなんだ。」と早退を認めるよう繰り返し求めた。同科長は「見たところそれ程ではない。今日はだめだ。」と答えた時、門間が助役室に入って来て同科長の机の前に立った。

債権者は、門間に「今日はだめだと言った。メモをとれ。」と言ったので、同科長は、門間には関係がないから出るよう指示した。債権者は引き続いて「何故、だめなんだ。」と早退を許可するよう強要した。二科長はこれを拒否し、再び、門間に退室を指示し、一科長が門間に対し、「門間君は二科長が二回も出なさいと言っても出ないのか。」と注意すると、門間は大声で、「やかましい、この野郎。」と怒鳴った。そこで大信田一科長が口を慎しむよう注意すると、門間は「馬鹿、馬鹿、馬鹿、それメモをとれ。」と大声で発言し、退室しなかった。債権者は二科長の左横から顔を大谷二科長の顔の直近まで近付けてきて、大声で「ここが邪魔ならあっちへこい。」と詰所へ行くようすごんだ。同科長はこれを拒否した。

(3) 四月一七日の行為

債権者は午前九時二〇分ころ、二科助役室に入り土屋助役に対し、「見習いは前回と同じでいいな、俺はまだ完全じゃあない。」と言った。同助役は、「何度も本番をやっているし、出来ると考えられる。分からないことは検査係に聞けばよい。」と答え、大谷二科長も作業指示通りやるよう指示した。すると、債権者は、「どこに見習いと書いてある。」と言い出し、同科長が、全員に配布してある業務予定表の債権者の氏名の隣に記載されているし、点呼でも指示したと答えると、債権者は、「そんな物はもっていない。」「助役みせてくれ、ほれ見習いとは書いていない。」と言い出した。同科長が作業指示通りにやるよう再度指示したが、債権者は、「俺の担当の仕事はやるが、見習いは知らないからな。」と繰り返し発言した。そして、債権者は、来室していた大信田一科長のところまでわざわざ行き、自分の顔を同科長の顔の直前まで近付けた。同科長が離れるよう注意すると、債権者は、「臭せえ。」と言って同科長を侮辱するような態度を示した。

(4) 四月一九日の行為

債権者が午後三時五五分ころ、二科助役室前の廊下を通りかかったので大谷二科長と大信田一科長が債権者を呼び止め、同月一七日債権者が早退の請求のため笹木助役に示した診察券に予約の記載がなかったことから、診察券を再度見せるよう指示した。そして、同一科長が債権者に、これからは勤務時間外に治療の予約をとるよう話したところ、債権者は、「勤務時間外に行くのなら、なにも行かせてくれという必要はない。」と、勤務時間内に通院することを許可するよう要求し、「どのような場合でも行かせてくれないのか。」と言い始めた。大信田一科長が、その時点で判断する。と答えると、債権者は、「痛くて死にそうな時でも行かせないのかと聞いているのだ。一科長、一科長、一科長。」「また馬鹿にした言葉を行ってやろうか。」と発言し、同一科長がその類の言葉は何時も言われていると答えると、債権者は、「俺はそんなことを言った覚えはない。」と言った後、さらに、「どんな時にも行かせないのか。」と繰り返し要求した。同一科長か、その類の話しは所長からしてあると言うと、債権者は、「所長からそんなことは聞いたことがない。二科長はどうなんだ。」と今度は同二科長に話しかけてきた。同二科長が、その類の話しは所長からしてある。あえて答える必要がないと言うと、債権者は、「聞いていない。」と言った。同二科長は債権者に対し、先に言った診察券を見せるよう指示したところ、債権者は一旦、助役室を出て詰所へ行ったが戻ってきて、診察券を笹木助役に呈示し、四時半と書いてあると言うので、同助役はこれを確認し、前に見た時には書いてなかったと言うと、債権者は、「疑っているのか、電話をかけてみろ。」と言ったが、それ以上は強く反論しなかった。同一科長は、これからの予約は午後五時半以降をとるように話すと、債権者は、腕組みをしたままつかつかと同科長に近づき、顔を同科長の顔につかんばかりに近付け、「臭い。」と言って離れた。

その後も債権者は、繰り返し「予約は時間内でなければとれないこともある。」と勤務時間内の予約を認めるよう要求した。同二科長が午後五時半以降の予約をとること、空きがなければ順番を待つようにと言うと、債権者は、「今後、この運転所では一切早退はないんだな。」と発言して、午後四時一〇分退室した。

(5) 四月二六日、二八日の行為

〈1〉 債権者が同月二六日午前九時一一分ころ、二科助役室に入って来て、土屋助役に対し左目の瞼の腫物を指差しながら、「土屋助役、切って来るから鉄道病院へ行かせてくれ。」と言った。土屋助役が今日は訓練なので午後三時過ぎまでかかると言い、大信田一科長が鉄道病院は午後三時までであるから、近くの眼科医院を調べて極力勤務時間外に行くよう話した。債権者は黙って退室した。

午後三時二三分ころ、債権者が再び助役室に来て土屋助役に、「目の病院はどうした。」と言うので、同助役は自分で調査するよう答えると債権者は、「調べてくれたのではないのか。」と言った後、急に話題をかえて、「歯のことだが、二八日の五時に予約してきた。」と言い出し早退の承認を求めた。大谷二科長が、この前歯医者の予約は午後五時三〇分にするよう言ったではないかと言うと、債権者は、「六時までやっているが、予約は五時が最後だ。」と言った。同科長は、予約時間の最終が午後五時三〇分ではないんだなと念を押し、勤務に関係があるので今すぐに早退を許可できないと答えると、債権者は退室した。同科長は債権者の右申し出に不審を抱き、債権者が予約をとってきたという松田歯科医院に確かめたところ、同医院の最終の予約時間は午後五時三〇分であり、債権者が虚偽の申し出をしていることが判った。そこで、同二科長は、同月二八日、部下の助役に債権者から早退の申し出があったときは、同二科長宛電話させるよう指示しておいた。

〈2〉 同月二八日午後四時一分ころ、債権者から土屋助役に対し電話で、「二科長に話してあるから歯医者に行く。」と申し入れてきた。同助役は債権者に対し、同科長に直接電話するよう指示した。その後、債権者から電話を受けた同科長は、松田歯科医院の最終受付時間を午後五時と言ったが午後五時三〇分ではないかと質問したところ、債権者は、「医者が一七時としか言わなかったので、判らなかった。」と弁解した。同科長は、早退を許可しないことを告げた。債権者は、なおも「今日は行かせてくれ。」と早退の許可を求めたが、同二科長がこれを拒否したところ債権者は大声で、「一七時一五分でも一六分でもいいだろう。時間外に行くのに一七時三〇分だと、この野郎。」「電話で解約してくれ。」と発言した。同科長が自分で解約するように言うと、債権者は、「今後早退はないんだな。」と強い口調で発言した。同科長がケースバイケースであると説明すると、「どういう場合だ。俺の場合は認めないんだな。」と言った。同科長は、債権者については前回時間内で認め、次回からは時間外に行くよう話したはずであると言うと、債権者は再び、「今後早退は一切認めないんだな。」と言い、同二科長は「ケースバイケースだ。」と言う押問答を繰り返したが、同科長はこれ以上議論する考えはないと言って電話を切った。

(6) 六月九日の行為

債権者は、同年二月に車両検査係に昇格し、その職務に従事するため、他の昇格者とともに職場内教育が六月八日から開始された。同日債権者は年休をとり講習を受けなかった。そして、翌九日午前九時五分ころ、債権者が二科助役室に来て、講習計画表を出し笹木助役に対して、「昨日休んだが、この計画でやるのか。」と聞くので、居合わせた大信田一科長が「職場内教育は計画表どおりの項目ですすめる。債権者の休んだ八日の項目ともう一つの項目は、直接作業に関係があるので補講する。他の項目は部外の講師を依頼する関係もあり休んだら補講しない。」と説明したところ、債権者は、「検査係としての講習をしているのに、補講しないと仕事にならないではないか。」と述べ、同一科長の部外講師の都合を待っていたらいつになるかわからず、見習いができないという説明に対し、「先生に都合があるように、俺にも都合がある。俺の都合を聞いて日程を組んだわけではないだろう。」「補講の話しが決まらなければ講習は受けない。」と言い出した。大信田一科長はともかく先程いった二項目以外は都合で補講できないが、今日は講習を受けるように指示した。

当日の講習の講師である渡辺検査長が、債権者に向かって講習に行くぞと言って七メートル職場三階の講習室へ向かった。債権者は、「補講の話しが決まらないではないか。」と言って同講習室へ行こうとしないので、同一科長は再び講習を受けるよう指示し、咲山助役も債権者に、講習を受けるよう指示した。

債権者は、大谷二科長に対しても「二科長は休んだ補講をどう考えているのか。」と問い講習を受けに行くよう同科長に指示されてもさらに「休んだ補講をどう考えている。」と言い出した。同二科長は講習を受けるよう午前九時二〇分に指示した旨通告すると、債権者は同科長に向かって、「指示だと。いつ業務命令を出すんだ。休んだ時の補講をどうしてくれるんだと聞いているんだ。」「だんまりか。」と大声を出した。さらに同科長が、講習に行くよう指示したが、債権者はこれに従わず、「補講をどうしてくれるんだと聞いているんだ。今日は年休をとるからな。」と大声で発言した。そこで、同科長は、補講は大信田一科長である旨話したところ、債権者は「二科長に聞いているんだ。返事ができない科長ならやめちまえ。」と大声で述べ、同時に右手に丸めて持った講習計画用紙を大谷二科長の顔すれすれに振りおろし、その手で二科長の机を強く叩いた後「返事も出来ないなら案山子でも置いておけ。」と言って退室した。

(六) 業務拒否、業務指示拒否等(いずれも三号、一七号)

(1) 三月一七日の行為

債権者は午前八時四八分ころ、現業事務所四階にある二科助役室に入り土屋助役に向かって、「すぐには見習を付けないといったのに、この野郎なぜ付けた。」と大声で言い、見習の指導に応じようとしなかった。

(2) 四月二八日の行為

田島正幸助役が午後一時一〇分から、仕交検庫職場(七メートル職場)の講習室で五月一日から新しく臨時検修徹夜(以下「臨徹」という。)班に配属される職員に対し、同班の点呼は従来どおり日勤詰所で全員で行い細部の作業指示は助役室で臨徹班四名に行うと説明して、貸与のシーツ等を手渡して散会した後右説明に不服な門間が貸与されたシーツ等を持って二科助役室に入り、田島助役に、「そんなことでは臨徹をやめる。」と申し入れ、同助役から「今やめたら仕事に穴があいて運休がでてしまう。」と言われても、「そんなことは俺には関係がない。困るのは助役だろう。」と言い返していた際、債権者も貸与されたシーツ等を持って助役室に入ってくるなり、「俺もやめた。」といい、同助役が止めようとしたが、債権者は、「出よう、出よう。」と言いながら、門間と共に貸与されたシーツ等を投げ出して退室した。

(3) 五月一七日ないし三〇日の行為

〈1〉 第一運転所では、一日交検制度の作業行程等の説明を勤務時間外に行うことになった。五月一四日午前八時二〇分の終業点呼時に、國井助役が債権者と門間の両名に対し、同日の受講が都合が悪いとのことなので次回に受講するよう伝え、当日は、債権者、門間を除き説明会を実施した。

〈2〉 同月一六日午前九時一〇分ころ、阿部助役は、債権者らに対し、明日の朝、一日交検の講習を受けるよう指示し、國井助役は、翌一七日終業点呼時に債権者らに対し受講するよう指示した。債権者は、勤務時間外は自分の時間だから超勤手当をつけても受講しないと言い、門間と共に受講する意思を全く示さなかった。そこで、同助役は、同月二〇日に受講するよう指示した。

〈3〉 同月二〇日の終業点呼時に同助役から重ねて受講を指示したが、債権者は、「今日もだめだ。そんなことより早く給料をくれて、早く帰れるようにしてくれ。」と発言して、これを拒否し、同助役が、それなら何時受講するのかと質したところ、債権者は、「何時でも都合が悪い。」と返答した。

〈4〉 同月二八日午前九時四〇分ころ、咲山助役が仕業、臨徹記帳室にいた債権者らに対し、明け番に受講しないのなら勤務時間内の手待時間で説明を行うと通告した。門間は、「今まで朝やっていたのに、なぜ時間内にやるのだ。」と言い、債権者は「そのうち都合のよい時に助役にしゃべるからよ、その時受ける。」と言って、真面目に受講しようとする態度を示さなかった。

〈5〉 同月三〇日午前一一時一五分ころ、田島助役が七メートル職場九番線南側付近で債権者らに対し、一日交検の講習を受ける意思を確認したところ、両名は都合が悪いから受けない旨述べたので、同助役は、作業時間内で指定し実施する旨通告した。債権者は、「時間外手当二時間はつくのか。」と言い、同助役がつかないと答えると、両名は六月二三日までには受けると言って、結局対象者のうち債権者と門間だけが受講しなかった。

〈6〉 このような経緯で、債権者と門間は、一日交検の講習が受けられるのに受けなかった。これが原因で六月二三日管理者に対しいやがらせをし騒ぎを起こしたことは、前記(二)の(12)で述べたとおりである。

(4) 五月三一日ないし六月九日の行為

第一運転所検修二科では、夜間の作業体制が確立したのを機会に、日勤勤務を主体とした職員は日勤詰所(四階)を使用し、夜勤勤務等の職員は同事務所三階詰所を使用することになり、それまで日勤詰所を使用していた債権者は五月二六日から門間と共に三階詰所に移転することとなった。同月二八日午前九時一〇分ころ、阿部助役は、右債権者らに対し、午後七時ころの手待時間帯に新しい詰所に引っ越すよう指示したが、債権者らはその指示に従わず、同月二九日朝の点呼の際、國井助役に、「昨日は都合が悪かったので、三一日に引っ越しする。」と約した。同月三一日午前一一時ころ、田島助役は、外勤検査長室付近で債権者らに対し、午後一時からの縁切り作業が終ってからの手待ち時間帯で現業事務所三階へ引っ越すよう指示した。すると、債権者は、「俺は荷物が多いし、これで引っ越しは三回目だ。日通にやらせろ。仕事はどうするんだ。」と言って、右指示に従わなかった。結局、債権者は門間と共に日勤勤務に配置換えになり、引っ越しの必要のなくなった日(債権者は同年六月九日、門間は七月八日)まで管理者の指示に違反した。

(5) 六月二日の行為

五月三〇日午前八時四〇分ころ、田島助役は日勤詰所で、門間に対し厚海職員が六月五日の年休を申し込んでいるので勤務変更に応じてもらえないかと打診した。門間は、「鈴木に話したか、鈴木は休みだが一〇時ころ出てくるから話してみろ。鈴木がだめなら厚海とは友達だから代ってもいいよ。」と述べた。同助役は、午前一〇時四〇分ころ出て来た債権者に、勤務変更を打診したところ、債権者は、「予備を作れ、もし勤務変更に応じない場合はどうするのか。」と言うので、同助役が勤務変更に応じる者がいないと厚海の年休は出してやれないと説明すると、債権者は、「それはおかしい。日勤の方から人を持ってくればよい。」と言い、門間も、「俺も勤務は代わらない。」と勤務変更に応じなかった。翌三一日午前九時ころ、同助役は仕業、臨徹記帳室で債権者と門間に再度、二人のうちどちらかが勤務変更に応じないと厚海職員の年休が出ないと話すと、両名は、「それはおかしい。予備を作らない方が悪い。勤務予定表通り出てくる。どうしても日勤からもってこれないのか。」と述べた。六月二日午前九時ころ、債権者は現業事務所三階の詰所で田島助役を呼びとめ、厚海の年休はどうしたと聞き、出ない旨の返事を聞くと、「他から人を持ってくるのが助役の仕事だろう。それができなければ助役をやめちまえ。俺が臨徹を仕切ってやる。」と言い、さらに、同月三日午前九時ころ、債権者は門間と共に現業事務所四階の二科助役室入口で田島助役を呼び止め、「厚海の年休の件はどうした。」と聞き、同助役が厚海が予定を変更したと答えると、両名は、「六日に年休を申し込むからな、今晩までに返事しろ。」といやがらせを言った。

(七) 職場離脱(無断早退、無断外出)(いずれも六号、一七号)

(1) 二月八日の行為

債権者は午後二時三〇分ころ、現場事務所三階の会議室で土屋助役から講習を受けていたが、突然立ち上がり、「助役、医者に行く。」といったので、同助役は債権者に対し、「どこが悪いのか、どこの医者に行くのか、足はあるのか。」と尋ねると、「助役に関係ない。足は車がある。では行ってくる。」と言って退室して現場を離脱した。

債権者の右欠務については、動労支部委員長より責任をもって本人を指導するから、今回に限り不問に付されたいとの要請があり、欠務の処理をしなかった。

(2) その他の行為

債権者は、門間と共に、三月一七日の午後四時一五分と四月二日午後四時一五分ころ、及び同月五日の午後四時三五分ころの三回に亘り、いずれも無断で職場を離脱した。

(八) 遅参、早退、勤務時間中の外出(いずれも一七号)

(1) 債権者は、日勤の場合、就業規則等の定めにより、午前八時四〇分まで出勤すべきところ、次の通り遅刻した。

〈1〉 一月二〇日、午前九時二〇分出勤し、遅れた理由は自動車の故障ということであった。

〈2〉 二月三日、午前九時四五分出勤し、その理由は鉄道病院に寄ってきたとのことであった。

〈3〉 同月九日、無断で遅参し、午前九時二〇分出勤。

〈4〉 三月九日、出勤時刻の午前八時四〇分ころに電話で病院に寄ってくる旨連絡したうえ遅参し、午前九時三一分出勤。

〈5〉 四月一二日、午前九時一七分出勤し、その理由は子供の病気とのことであった。

(2) 債権者は、日勤の終業時が午後五時一五分であるところ〈1〉二月九日午後四時二〇分、〈2〉同月一二日午後四時二〇分ころ、〈3〉三月八日午後三時三一分、〈4〉同月一六日午後三時四九分ころ、〈5〉同月一九日午後三時五分ころ、〈6〉四月六日午後四時三〇分ころ、〈7〉同月一二日午後三時二七分ころ、それぞれ早退した。

(3) また、債権者は、〈1〉一月二一日の午前九時三〇分から午前一一時まで、〈2〉二月一日の正午過ぎから午後二時三〇分まで、〈3〉同月四日の午前一〇時から午前一一時三〇分まで、それぞれ勤務時間中に外出した。

(九) 突発年休等(いずれも一七号)

債権者は、一月七日に着任して、同月一二日から九月一六日までの間(五月三一日まで有効の年休を三月末までに使用してしまったため、四月一日から五月三一日までの間、年休はない。)に三四回の年休請求をしたが、そのうち九回は当日申し込みという性急なものであり、また、うち二〇日は半日年休であった。

右突発年休、半休は業務の能率的な運営を阻害するものであり、非協力的な行為である。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実のうち、債務者主張の内容の就業規則の存在と、その主張の日に、債権者に対し右規則及び国鉄法の所定の規定に基づく本件懲戒処分の通知があったことは認めるが、その余の事実は否認する。

2  同2について

(一)(1) (一)(1)、(2)の事実のうち、債権者が台検庫一階で行われた点呼に参加しなかったことはいずれも認め、その余の事実は不知。

債権者らは、前日まで行っていた二階詰所(机、椅子がある。)を変更したのに抗議し、二階詰所で待機していた。

(2) 同(一)(3)の事実のうち、債権者らが椅子を点呼場所におろしこれに掛けて点呼を受けたことは認める。その余の事実は不知。

(二)(1) 同(二)(1)の事実のうち、債権者が実習中に年休をとり実習を受けなかった項目につき、再度その補習をするかどうかを村田助役に質問したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(2) 同(二)(2)の事実のうち、債権者が年休抑制と診断書提出について抗議したことは認めるが、その余の事実は否認する。「車に火をつけてやる」云々は債権者が発言したものではない。

(3) 同(二)(3)の事実のうち、見習を付けたことに抗議したことは認めるが、その余の事実は争う。

見習に教えるほどの本番回数でなかったので、助役にその撤回方を申し入れたが、作業につけの一点張りだったため、互いに言い合いになったものである。

(4) 同(二)(4)の事実のうち、片桐の年休の申込みを調整せずに拒否したことについて抗議したことは認めるが、その余の事実は否認する。

片桐には、その後調整がついたと言って半休を認めた。

(5) 同(二)(5)の事実は争う。

(6) 同(二)(6)の事実のうち、見習張り付け方に抗議したことは認めるが、その余は争う。

本番回数の不十分な指導員に見習を張り付け、その人にまた見習を張り付けるやり方に抗議したものである。

(7) 同(二)(7)の事実のうち、債権者が早退を拒否され、早退許可の基準となる社会通念について質問し、早退許可の拒否に抗議したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(8) 同(二)(8)の事実は否認する。

作業所に一番近い七メートル職場詰所で点呼をして欲しいと述べた。

(9) 同(二)(9)の事実は否認する。

見習等で十分に養成せずに本番に張り付けておきながら、わからなければ、検査長、検査係に聞いてやれと言うのは、管理者としてあるべき行為でないと言った。

(10) 同(二)(10)の事実のうち、債権者が四月中の出勤簿に何ら処理されていないし、四月五日の否認処理について聞いていない旨抗議したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(11) 同(二)(11)の事実のうち、債務者主張の年休請求をし、夜まで返事してくれと申し入れしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(12) 同(二)(12)の事実のうち、債権者が助役等と電話で一日交検の講習についてやりとりをしたこと、債権者が二科助役室に入ったことは認めるが、その余の事実は否認する。

債権者らが助役室に入ると、一科長が大声で「出て行け」と怒鳴ったことから同科長と言い争いになった。

(13) 同(二)(13)の事実のうち、債権者が債務者主張の者らと、その主張の助役室で鈴木助役に相沢の年休要求をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(14) 同(二)(14)の事実のうち、債権者が門間と共に交検の回しについて笹木助役等に説明を求めたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(三)(1) 同(三)(1)の事実のうち、小島の年休請求が拒否されたため、債権者らが年休を認めるよう要求し、年休の取扱いについて説明を求めたことは認めるが、その余は否認する。

債務者が暴力的行為と主張するのは、大谷二科長が右要求等に対し誠意ある回答をせず「出て行け」などと怒鳴りちらしたので、債権者らが同二科長の机につめより、強く抗議した際、足が机に当ったり、机の一方の脚がわずかに浮いたりしたことを指すものであって、およそ暴力的行為などというものではない。

(2) 同(三)(2)の事実のうち、債権者が年休請求拒否について抗議したこと、その際債権者が煙草を喫っていたことは認めるが、その余は否認する。

債権者は煙草の煙を故意に吹きかけたことはなく、その煙がたまたま大谷二科長の方に流れることがあったにすぎない。

(3) 同(三)(3)の事実のうち、債権者が助役等に年休を要求し、その拒否に対し抗議したこと、その際渡邊助役がカメラを持ち出し写真を撮ったことにも抗議したことは認めるが、その余の事実は否認する。

債務者は、債権者が年休抑制の事実を示すため、年休カードを二科長の目の前に突き出して見せたことを、年休カードで顔をたたいたと主張するものであり、またこの時、大谷二科長が立上って空いていた椅子に債権者の足が触れ、椅子が少し移動したことを指して椅子を故意に蹴ったと主張しているものであって、およそ暴力的行為などではなかった。

(4) 以上の通り債務者が暴力的行為と主張するものはいずれも債権者の些細な行為を大袈裟にとり上げているものであって、暴力的行為といえるものではない。

(四)(1) 同(四)(1)の事実は争う。

二月四日債務者の無責任な要員配置で、七名が一科から二科にくじ引によって移転させられたので、職員のグループ交流の展望を質したところ、大信田一科長から「お前達はもう一科の者でないから関係ない。」と怒鳴られたものである。

(2) 同(四)(2)の事実のうち、管理者がくじ引で人選を行おうとしたことは認めるが、その余は否認する。

債務者主張の人選に関係者が集らなかったのは、債権者らの妨害発言によるものではなく、人選方法がくじ引によるということに関係者が反発した結果である。

(五)(1) 同(五)(1)の事実は争う。

何事に関しても一方的に説明もなしに決定するという、職員に対する管理者の対応の仕方の方にこそ問題があったものである。

(2) 同(五)(2)の事実のうち、債権者は歯が痛いので病院へ行くため早退を申し込んだが、助役が診断書を持って来いと言うので、病院へ行ってみないと、診断書をもらえるかどうかわからないと答え、早退が拒否されたことは争わないが、その余の事実は、否認する。

門間は助役室に債権者の様子を見に行くと、大谷二科長から出て行けと怒鳴られたので言い返した。

(3) 同(五)(3)の事実のうち、見習の張り付けについて助役等と債権者との間でやりとりがあったことは認めるが、その余の事実は争う。

本番として不十分なのに見習いを付けられたので、知っている範囲でしか教えられないと言った。また、見習いが張り付けられているかどうかにつき説明されていなかったので聞いた。

(4) 同(五)(4)の事実は否認する。

(5) 同(五)(5)の事実のうち、債権者が瞼に腫物が出たので直ぐ病院に行かせて欲しい旨申し入れたが拒否されたことは認めるが、その余の事実は争う。

(6) 同(五)(6)の事実のうち、債権者が年休をとったため債務者主張の講習を受けなかった部分につき、補講をどうするか質問し、補講しないというのでその理由について説明を求め、その説明に抗議したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(六)(1) 同(六)(1)の事実のうち、見習いに教えられるほどの本番回数ではなかったので、見習いの張り付けに抗議し、助役にその撤回方を申し入れたことは認めるが、その余の事実は争う。

(2) 同(六)(2)の事実は争う。

(3) 同(六)(3)の事実のうち、債権者が債務者主張の講義を受けなかったことは認めるが、その余の事実は争う。

当時、債権者は、従前認められていた早退、外出について、他の職員と差別的な取り扱いをされ、非番には他の用事を果さなければならなかったため、受講に容易に応じられなかったものである。

(4) 同(六)(4)の事実のうち、引越しをしなかったことは認めるが、その余の事実は争う。

六月二三日の開業時には四階に戻ることになっていたので、移転せずにそのままの方が支障がなかったものである。

(5) 同(六)(5)の事実のうち、年休について抗議したことは認めるが、その余の事実は争う。

(七) 同(七)(1)、(2)の各事実はいずれも認める。

(八) 同(八)(1)ないし(3)の各事実もいずれも認める。但し、同(八)(1)の〈1〉、〈2〉、〈3〉、〈5〉についても、事前に遅刻の連絡をしている。(3)の〈1〉は助役の許可を受けている。

(九) 同(九)の事実のうち、突発年休半休が業務の能率的な運営を阻害し、非協力的行為であることは否認するが、その余の事実は認める。

(一〇) 職場離脱、早退、外出等は、債権者のみが特別に取り上げられるほど多い訳ではなく、昭和五七年四月ころ仙台鉄道管理局がいわゆる総点検結果の中で主な是正、改善事項の中に早退、遅刻の是正を上げているように、当時、同局管内全体に無断早退、外出、遅刻等が慣行的に広く行われていた。

しかも、債権者の場合、右早退、遅刻等いずれにおいても止むを得ない理由によるものであり、特に業務に支障を与えることもなかった。

突発年休、半休にしても、債権者と同程度の者がありながら何ら問題とされていないし、これは、当日申込んでも業務に支障がなければ許されるということで、債権者の場合も、業務に支障がなかったからこそ当日年休、半休が許可されているのである。

そもそも年休請求は労働者の権利であり、これを理由に懲戒処分することは許されない。

以上の次第で、これらの事由は、債務者主張の懲戒処分事由には該当しない。

五  再抗弁

本件懲戒処分は、以下の通り裁量の範囲を著しく逸脱し違法なものであって、懲戒権の濫用であるから無効である。

1  債務者は債権者の非違行為として、点呼場所の変更、パート間交流、見習いの張り付け、見習い順序、年休の指定方法と調整の各問題をめぐっての債権者の言動をとらえているが、右各問題についての債権者の指摘は、以下の通りいずれも問題解決のために正鵠を得たものであるから、これらを非違行為として処分するのは不当である。

(一) 点呼場所の問題について

債権者が台検に着任した一月七日までの朝の点呼は、二階詰所で行われていたが、大信田一科長が翌八日、突然点呼場所を一階作業場に変更すると通告してきたので、債権者ら一〇数名の職員は、「点呼はその日の作業の連絡具体的作業指示等を確認する場であり、自分の作業内容をメモする必要がある。そのためには椅子、机のあるこれまで通りの二階が最適である。」と述べて管理者の再考を促した。しかし、同一科長は「点呼においてメモするようなことなどありえない。あなた達は一階にこないのですね、点呼に参加しないのですね。」とだけ告げ、債権者らを勝手に点呼欠席したと決めつけるなどして無理矢理一階作業場に変更した結果、点呼も立ったままのためメモすることができず、作業に支障をきたすという状況が発生し、管理者もメモの必要性を認めて、三日もしないうちに再び点呼を二階詰所に変更した。

しかして、管理者の思慮を欠く行動に対し、その是正を求めた債権者らの発言や行動をもって非違行為ということはできない。

(二) 要員配置におけるくじ引問題について

東北新幹線の昭和五七年六月開業に向けた要員配置が無計画で場当り的なため、同年一月の転入者四四名全員を台検に配属しながら、翌二月四日にはうち七名をくじ引で選んで交検に配置し、さらにまた台検が要員不足となったため交検から四名をくじ引で選ぼうとしたので、債権者らが話し合い、くじ引をやめさせて五名が自主的に移動した。

くじ引の正当性につき債務者は、各職員の特質が不明であるとか、交検への移動希望者が多く公平のためなどと主張するが、要員配置をくじ引で決めるようなことは極めて不合理であるため、くじ引の問題が三度目となった同年六月一七日のパート配置に際しては多くの国労、動労組合員から異議が出された。

債権者らは、従前勤務していた仙台運転所におけるパート・グループ間交流の実態(在来線の場合は、職員が一定期間毎に順番に交替し、全パート、全グループの仕事を担当する体制が確立されていた。)を踏まえて、第一運転所の管理者に対しても、交流についての基準整備、将来展望を強く求め、それが職員に提示され明らかになれば、くじ引は全く不要になることを力説してきた。右交流は、職員の待遇面による格差や技術断層を解消し、交替要員の確保が容易となり年休抑制もなくなるという積極的な効用があり、昭和四三年一〇月以降新幹線の職員に対しても適用される労働協約となって実施されていたのであるが、第一運転所の管理者は、右協定等やそれに付随する確認事項について、理解しようとさえしなかった様子で、全くといっていい程パート間交流を促進していくという意識がみられなかったからである。

第一運転所におけるパート・グループ間交流は、昭和五八年六月になって最終的に労使で合意されたが、昭和五七年六月一七日当時は、管理者が展望さえ説明できない状態であったため、年休取得が困難で人気のない臨徹パートへの配置をくじ引で決めようとした際には、前記の通り多数の職員から不満が出されたのである。

パート間交流が行われるようになった現在、要員配置をくじ引で行うことはなくなったし、希望調整などで手間どることもなく、職員もとりたてて不満を出すことがなくなった。

まさに債権者らの意見が正しく、それが生かされた結果があらわれているのであり、債権者らのこの問題についての発言内容は正当であった。

(三) 見習いの張り付け、見習い順序の問題について

債権者が昭和五七年三月一七日、同月一九日の見習い指導に異議を述べたことが非違行為とされているが、管理者は、債権者の異議を受け入れて見習い指導を外しているのであり、それは債権者の言い分に正しいものがあったことを物語るものであるから、右異議申立を非難することは許されない。

すなわち、当時債権者は同年一月七日に第一運転所に転勤となり、二月五日には交検に移動するなど拙速な養成を受けていたが、三月一七日数日間の見習いが終えたばかりで、だれがみても新しい人に作業を教えるには充分でなく、また管理者も従前「見習いを終えて本番(実務)として充分作業にたずさわった段階で見習い者を張り付けます。」と述べており、他にもっと習熟した職員がいながら、突然債権者に対し、見習い者を張り付けたので、疑問に思った債権者が朝の点呼の際質問したが、土屋助役や大谷二科長らは何も答えず助役室に引き上げていったため、前記抗弁に対する認否において主張の通り助役室で抗議し、その撤回を求めたものである。

右のように債権者は、検修業務の円滑な遂行のためにも、より完全な養成、見習いがなされることを求めて発言しているのであって、まことに正しいことを主張しているのである。

(四) パート・グループ間交流問題について

第一運転所では、債権者らの主張していたグループ・パート間交流の促進について、養成期間の長短の問題があることや新幹線の検修は高度な技量を要し、ATCの養成に一か月かかるなどの理由を上げて、昭和五七年当時は極めて消極的であったが、臨日班のように見習いを要しないものや、一週間内で養成できるパートも多数存することなどから、前記労使協定を経て、現在においては、交検にATC、仕業、臨徹、引取りの作業ができる職員がおり、右各パートに要員欠の状態が生ずると、交検からの要員運用を行うというやり方で、要員運用が頻繁に行われるようになり、その結果年休取得が容易になったばかりか、広い意味で業務の円滑な遂行に寄与するに至っている。

以上の経過をみると、債権者らのパート・グループ間交流促進を求める主張は、業務の円滑な遂行に極めて有益な積極的提言であったわけで、右提言に耳を傾けることなく暴言としか考えなかったのは、現時点からみると、当時の管理者の勉強不足からくる誤った認識であったことが明らかである。

(五) 年休の指定方法の問題について

年休の請求について、年休票で行うのが正式の手続きであるが、債務者は整理の便宜のために年休補助簿(申込簿)を作り、職員に補助簿への記入を強制し、それをもって年休の時季指定としていた。債権者が七月二二日、八月一二日、九月三日となした異議申立は、右のように補助簿が正式のものであるかのように扱われてたうえ、補助簿に予備要員の枠のところで赤線を引き、年休請求者が赤線に達すると助役は正規の時季変更権を行使することなく、年休請求の受理を拒否する扱いをしたため、職員は競ってあらかじめ一か月先までの年休請求を補助簿に書き込み、あとで不用となった日を消すというようなことが横行したので、こうした弊害を防ぐために、また年休が入らない場合の正規の時季変更手続きを求めて、年休票による申込みを主張したにすぎない。結局のところ、補助簿は、管理者の年休請求者間の調整を不要にし、時季変更の証拠も残らないため、組合から時季変更の理由を追求されることがないという点で、職員にとっては百害あって一利なしの制度であった。このような補助簿の使用を要求する管理者に対し債権者らが異議を述べたことは当然であって、労働基準法及び債務者の年次有給休暇規程からいっても正しい主張だったのである。

(六) 年休の調整をめぐる問題について

債務者の補助簿を用いた年休の指定方法には前項のような問題があったが、さらに調整という点にも問題があった。すなわち、臨徹の勤務割は一昼夜交代勤務(徹夜)であり、一日の出面は検査長一、検査係二、検修係二の体制で出面一の徹夜勤務の場合、三人の職員がいてはじめて正常な勤務が可能であったから、職員は日勤の日か、勤務割作成前に予め申込んだ日以外には、他の二人の職員に勤務割変更の了解をとりつけない限り、希望する日に年休は取れない状態であり、出面二の六名で回している検査係、検修係についても事情は同じで、このような実態ではそもそも労働基準法の年休権を充足しているとはいえない状況であった。

従って、管理者には、いたずらに時季変更権を行使することがないようその調整努力が強く期待されていたところ、昭和五七年八月一二日の小島検修係の歯科医予約を理由とする年休時季指定に対し助役は、「赤線枠内の人と話し合ったらどうだ。」と言うばかりでその調整努力を怠り、時季変更権を行使したのである。

このような異常な事態は、予備要員をパート毎に固定化していることの当然の帰結なのであって、パート・グループ間の交流を促進し、他パートからの要員運用を可能とせよという債権者らの主張は、予備要員の増が容易には計れない債務者の現状からみても、誠に妥当性をもっていたものである。

2  第一運転所は、在来新幹線、あるいは在来線の種々の職場からの転勤者によって構成されたいわば混成部隊であり、且つ新しい職場のために職務体制が確立されておらず、組合の方も動労仙一運支部が新幹線地本から仙台地本に組織変更になるなどして、職務体制、労働条件の確立につき十分対応しきれなかったため、現場はかなり混乱していたので、債権者は、仙一運支部青年部副部長として、職務体制や労働条件確立等のために、職場における前項の各問題点について、管理者に質問し抗議等したものであって、債権者の右問題点についての言動は、以下の通り正当な組合活動である。

(一) 動労の基本的運動方針

動労は、東北新幹線計画の着工が本決りとなった昭和四六年から組合としての新幹線対策を毎年の運動方針として掲げてきたが、その中で新幹線の職場に組合組織を確立するため、組合活動家の意識的送り込みの方針を立て、債権者もそのひとりとして送り込まれたものである。

動労の基本的活動方針は、各職場の問題についてはその現場において組合員から管理者に対し直接解明を求め、その話合いの中で個々的に解決していくという職場闘争を重視するものであって、債権者が以前勤務していた仙台運転所では、このような解明行為が円滑に行われ、業務は労使の十分な意思疎通のもとに行われていた。

(二) 債権者の解明要求行動

第一運転所と在来線職場とでは、業務体制に次のような相違があった。

(1) 一定の業務につき要員が不足し、業務が予定の時間内に完了できない場合、在来線においては要員を増加するか、業務を翌日に繰り延べるという形で要員で解決されていたのに対し、第一運転所では残業をさせ残業手当を支給するという形で金銭で解決されていた。

動労は従来から一貫して、右の点については合理化反対、要員削減反対の立場から、要員による解決を行ってきていた。

(2) 年休のための予備要員の配置は、在来線においては仙台運転所ならば、仙台運転所全体として幾人という予備要員を配置していた(総体予備)が、第一運転所では一定のパート毎にのみ配置していた。このため、在来線では、年休の欠務補充として他の全てのグループ・パートから補充者を捜すことができるので、年休を指定した者が年休を取れないということはなかったが、第一運転所ではパート内でしか予備がないので、年休が取りにくく特に臨徹の職場では、徹夜、非番の二日間の年休を取ることはほとんど不可能であった。

(3) 在来線においては、技術断層の防止、勤務条件(作業内容、手当)の平均化、年休を取りやすくするための総体予備配置実現などのためグループ間、パート間交流が三ないし一二か月の期間で行われていたが、第一運転所では長期固定の傾向が強く、グループ間、パート間交流について消極的であった。

右のような在来線方式と新幹線方式の対立が基本的に存在したため、債権者ら動労組合員活動家らは在来線方式の職場慣行を確立すべく職場闘争を展開していた。

そして、前記(1)の問題については、台検につき、当時の勤務体制(日勤)と要員では、一日で業務を完了することが不可能と主張する組合側と、可能と主張する当局側が対立していたが、実施した結果、現実に一日で完了しないことが明らかとなり、昭和五七年八月一六日から勤務体制を日勤から特別勤務六形(作業時間九時間)に変更し、これに伴い要員を増加することになった。東北新幹線開業早々、要員問題について当局側が組合側に屈した形となったため、当局側にとって非常にショックであった。

債権者らに対する本件懲戒処分は、右要員問題に対する当局側の報復措置としてなされたのである。

(2)の問題について、債権者らは、年休が労働者にとって基本的な権利であり、在来線職場と同様に指定した時季に自由に取れる体制を確立すべく職場闘争を行っていた。

債権者らが、自己の年休だけでなく、他の職員の年休請求が否認された時にも管理者に対しその都度抗議をし、また年休補助簿についても抗議を繰り返していたのはその趣旨であった。

(3)の問題については、現場協議において当局側と組合側が協議を続け、昭和五八年三月にようやく合意が成立し、その結果、第一運転所においても、半年から五年の期間で、グループ間、パート間交流が行われる体制が確立されたことは前記の通りであるが、債権者らは、グループ間、パート間交流が確立されていないことが、各パート配置の際のトラブルの基となり、また年休請求が否認される基となるとして、その確立に向けて個々の問題の解明を求めてきたのである。

債権者らは、第一運転所における勤務体制上のその他の前記問題点についてもその都度管理者に対しその問題点を指摘し、改善を求めてきた。

特に債権者らは、点呼時、手待ち時間時における解明要求という仙台運転所と同様の慣行の確立を目指していた。

しかし、管理者らは、朝の点呼においても債権者らの解明要求にまともに答えることなく直ちに助役室に退いてしまうので、必然的に債権者らは助役室に赴いてさらに解明を求めるという形になっていたのである。

(三) なお、債務者は債権者が管理者に対し、しばしば暴言を吐いたと主張しているが、それが事実としても、それは、いずれも前記の通り勤務体制の不備、年休その他の労働基本権の抑圧などの種々の職場の混乱について、動労組合員として抗議したのに対し、管理者が誠意ある対応を示さないことから生じるものであり、管理者の側にも責任がある。

逆に管理者も職員に対し常に怒鳴りちらし、暴言を吐いていたのであって、管理者と職員との対立関係が基本に存在していることが互いの暴言という形で現われているのである。このような関係は債務者の全職場に存在しており債権者のみが暴言を吐いているのではない。

従って、このようなことを債権者に対してのみ処分理由とすることは不当である。

3  突発年休、早退、遅参、外出等は、債権者のみが特別に多い訳でないことは抗弁に対する認否として主張したとおりであるが、それにもかかわらずそれを理由に債権者のみを懲戒処分に付するのは差別的取り扱いであり、不当である。

4  債権者の昭和五七年一月から三月までの行為も非違行為として懲戒処分事由に含めるのは以下の通り、不当である。

債務者と各労働組合との間で結ばれている「昇給の実施に関する協定」によれば、昇給の調査期間は、前年四月一日から当年三月三一日までであり(同協定第一項)、昇給所要期間内において所定の昇給欠格条項に該当する場合は、その者の昇給を減ずる(同第三項)とされ、また職員賃金基準規程に定めるとおり四号俸の昇給を認められた場合であっても、勤務成績が良好でない者に対しては、次年度も同様の場合は昇給を減じる旨、所属長から注意が与えられる(注意昇給)ことになっているところ、債権者の昭和五七年四月期昇給の発令(昭和五六年四月一日から同五七年三月三一日までの間の勤務成績を把握評価してなされる。)は、同年八月二三日に仙鉄局長よりなされているが、債権者は昇給を減じられたことも、また注意を受けることもなかった。

右昇給は、昭和五七年四月二六日開催の全国総局長、鉄道管理局長会議において、同年三月五日の総裁通知に基き実施された悪慣行等の総点検の結果を重視し、これを昇給、昇格等の成績評価に適正に反映させよ、との指示を受け、仙鉄局が総力をあげて実施した総点検の結果を重視して発令されたものであるから、債権者の勤務態度を把握して昇給の成績評価に適正に反映させてなされたはずであり、右昇給において規程どおり四号俸の昇給を受けながら注意すら与えられなかったということは、債権者の第一運転所における同年一月から三月までの行為は、特に問題とはされなかったということにほかならない。

このように既に問題がないとして判断された行為まで含め、昭和五七年一月から同年九月までの一連の行為を非違行為として列挙しているところに本件懲戒処分の不当性が如実に現れている。しかも、それらが一連のものとして列挙されているということは債権者の同年四月から九月までの間の行為は、同年一月から三月までの間の行為と同程度の行為ということであり、その一月から三月までの行為が非違行為に当らず、昇給減および注意昇給の対象にも当らないとすれば、四月から九月までの行為も、非違行為に当らない程度のものといわなければならない。

5  債権者は、これまで個人的行為により処分を受けたことはなく、このような者に対し、いきなり免職処分に付するのは不当であり、また従来の懲戒免職処分事例と比較すると、本件懲戒処分は極めて重く、懲戒権の濫用である。すなわち、

債権者は、昭和五五年一二月と同五六年一二月に五五年春闘、五六年春闘のストに参加したことを理由にそれぞれ戒告と訓告の処分を受けているが、その他に個人的行為を理由に処分を受けたことはなく、昇給も昭和五七年四月の時点まで正常に昇給が認められてきた。

もし債権者の個人的行為に何らかの問題が存するというのであれば、債務者はその行為があった時にその都度戒告なり減給なりの懲戒処分を行い、債権者に対し反省を促すべきである。ところが、そのような処分を一度も行うことなく、突然、従来の勤務態度や管理者に対する対応の一つ一つを全て拾い上げ、これらを総合して免職処分を行うというのは、極めて不当である。

また、従来の債務者の職員に対する懲戒処分例によれば、免職処分を受けているのは、相手の身体に対し直接暴力を加えたり、傷害を負わせたりしている場合だけであって、本件の如くおよそ暴力行為ではない暴力的行為などというものによって免職処分を受けた例は存在しない。

六  再抗弁に対する認否及び主張

1(一)  再抗弁1の冒頭の主張は争う。

債務者は、債権者がその挙示する事項を指摘したこと自体を非違行為であるなどと主張しているものではない。問題は、債権者らが勤務時間中に、管理者に対し、ばり雑言を発し、その指示に従わず執ように暴力的言動を繰り返し、その業務を妨害して職場の規律を乱したことにある。

(二)  同1(一)の事実のうち、点呼場所の変更を通告したこと、数日後右点呼場所を従前の場所に戻したことは認めるが、その余の事実及び主張は争う。

もともと点呼場所は、管理者が管理権に基づいて決定できる事項であり、大信田一科長は、作業能率を向上させるため、債権者ら多数の転入職員を迎え入れたのを機会に、点呼終了後直ちに作業に就けるよう一階作業場で点呼をとることとしたが、点呼終了後再度二階詰所に戻ってから作業に就くという従来からの作業慣行が改まらなかったため、旧に復したものである。債権者が主張するように、点呼時にメモがとれることが望ましいとしても、メモがとれないからといって点呼に欠席したり、まして、椅子を階段上に引きずり下して騒音を発生させ、点呼を妨害することが許されるはずがない。

(三)  同1(二)の事実のうち、債権者主張の台検から交検への配置換えについて人選をくじ引きで行ったこと、交検から台検への配置換えについても同じくじ引きによる人選を提案したが、債権者らの反対でこの方法を断念したことは認めるが、その余の事実及び主張は争う。

配置要因は、局・地本間の団体交渉によってグループ毎にその就業体制の状況に応じて決められる事情にあったのであり、第一運転所では、右の手続きによって決められた要員数に応じて、その都度職員の配置を行ってきたのであるから無計画といわれる筋合ではない。

また、配置転換についての労働組合の意向はくじ引もやむを得ないとの態度であること抗弁において主張の通りであるところ、昭和五七年二月台検から交検への配置換えについては、配置換えの希望者が多く、しかも配置換えの対象となる職員も台検の訓練期間中であって、その特性も把握できなかったためにくじ引によったものであり、同年六月一七日及び一八日の交検における人選については、配置しなければならない期日が切迫してきているのに一二名の職員が未調整の状態にあったことから、管理者において調整に努力したものの、債権者らの妨害により、調整が円滑にできず、止むなくくじ引による人選をしたものであるが、このことについても、人選に全く関係のない債権者らの反対にあい、この方法によることも断念し、管理者が指名して、人選したのである。

グループ間の異動については、昭和五六年一二月に、台検と他のグループ間の交替については、台検開始後約一年間は固定することとし、その後については作業の習熟度等を勘案しながら実施するとの協定が成立していた。

また、パート・グループ間の交流については、開業前の昭和五七年五月ころ、当時開催されていた第一運転所における現場協議において、管理者側から交流することを前提とした交流案を提案して各組合と協議しており、組合側の意見を斟酌しながら数次にわたり交流案を改定し、現場協議制が廃止となった後である昭和五八年三月から特別の場合を除いて在籍期間を最低六か月、最高五年として異動する方針を示して実行している。

なお、交検パート内における担当業務の交替についても、昭和五七年七月下旬労使間で二週間交代で行うことを合意し、同年八月二日から実施している。このように、第一運転所においては、新幹線電車の高度の技術性のゆえに、その検修にも高い技術力を必要とし、その業務に従事できるまでに長期間の養成を必要とする部門があって、このような部門間の交流は容易でないが、職員の希望をいれて実施しているのである。しかるに、債権者らは、管理者が既に団交において協定(グループ間異動)し、現場協議において協議中の問題(パート間交流)について、且つそのことを知りながら、管理者を困惑させるために、点呼時等の勤務時間中に、唐突にこの問題を持ち出して職場を混乱させたのである。

なお、債権者は、第一運転所の管理者が昭和五七年六月ないし八月ごろには、パート・グループ間交流について展望さえ説明できなかった旨主張するけれども、前記のとおり既に同年五月現場協議に第一次の交流案を提案しているのであって、債権者主張のころは、各組合と協議中であったのであり、かかる協議中の事項を各組合員に告知することができないことは当然であった。

(四)  同1(三)の事実のうち、債権者が見習の張り付けに異議を申し立ててきたこと、債権者を見習から外したことは認めるが、その余の事実及び主張は争う。

車両検修係の見習は、交検や仕業検査を行う場合の手順及びそれらの検査で発生する消耗品取り替え等に伴う部品の置き場所等を知るためにされる(見習者も新幹線車両の機器の所在、作用及び機能については、鉄道学園で一・七五か月、第一運転所における実習一・五か月の教育で十分知識を有する。)ものであるから、見習が張り付けられる本番者は、本番の業務に従事することができる能力があれば足り、ベテランである必要はない。従って、右交換の本番として勤務する債権者は十分に見習を指導することができたのに、これを拒否したのであるから、管理者の指示に従わなかったことになる。

管理者が、債権者から見習いを外したのは、組合役員のあっせんもあり、またこれを強行すると、債権者が騒ぎを起こし、職場が混乱することをおそれてしたまでであって、債権者の言い分が正しいと判断したからではない。

(五)  同1(四)の事実のうち、現在ではグループ・パート間交流が労使協定等によりかなり実施されていることは認めるが、その余の事実及び主張は争う。

パート間グループ間交流は、開業後は、前記の通り労使の協定(グループ間移動)及び当局案(パート間移動)にしたがって実施されているが、第一運転所の職員は、開業後技術力を修得し、開業前の状態と比べるに、交流は容易になったといえる。しかし、大きな検修設備の取り扱いの養成に長時間を要するものもあって、交流が困難な部門もある。

また、これらの交流は、債権者らの提言によって実施されている訳ではなく、当初からの労使間の合意に基づいて計画され、実行されているのであり、パート間にまたがる運用は、現在でも長期の病欠者がいる場合とか突発年休の申し出があったような場合以外にはなされていない。

(六)  同1(五)の事実のうち、年休請求は年休票で行うのが正式の手続であること、第一運転所で年休補助簿を利用していること、補助簿の予備要員の枠の個所に赤線が引かれ、年休取得の見込みが分るようにしてあること、債権者がその主張の日に年休時季指定に関して異議を申し立ててきたことは認めるが、その余の事実及び主張は争う。

第一運転所における年休補助簿の利用の目的は、年休請求者の整理と、請求者の年休取得の目安とするためであって、年休カード(票)により年休を申込み補助簿の記入を肯じない職員については、管理者において補助簿に記入しているのが実状であり、決して強制している訳でもなければ、年休請求の要件としているものでもない。また、年休補助簿の存在により、管理者による年休請求者間の調整が不要となるものではなく、現に管理者は必要順に応じ年休が取得されるよう努力しているし、必要なときは他のパートから代替要員を確保しているのであって、債権者の主張は、事実を歪曲するものである。

(七)  同1(六)の事実のうち、債権者主張の臨徹の勤務体制及び小島検修係のその主張の年休請求に対し時季変更権を行使したことは認めるが、その余の事実及び主張は争う。

第一運転所では、一昼夜交替等不規則勤務者の年休については前月二〇日までに年休補助簿により申し込むこととし、これを考慮しながら前月二五日に職員の翌月分の勤務予定表を作成しているので、右勤務予定表作成後の勤務変更が極めて難しくなったが、年休請求者が年休枠を超えるときは、管理者において申込者間を調整していることは前記の通りであって、小島検修係の年休請求についても、申込みを受けた笹木助役が同人より先に申込んだ上位三人を調整したがうまくいかず、やむなく時季変更権を行使したものである。

また、その利用目的が社会通念上必要と認められるときは、他のパートからでも代替要員を確保して年休を与えている例もあるのであって、年休枠を超える申込のあった場合でも、管理者において何らの調整をしなかったとする債権者らの主張は事実に反する。

2(一)  同2の冒頭の事実及び主張は争う。

債権者が正当な組合活動と主張する非違行為はいずれも勤務時間中の行為であって、そもそも就業時間中の組合活動は許されていないのみならず、債務者は、勤務時間中における職場規律を乱す暴言や暴力行為、それに非協力的であったことなどを理由に懲戒処分を行ったものであるから、債権者の主張は理由がない。

(二)  同2(一)の事実のうち、仙台運転所で、債権者主張の解明行為が円滑に行われ、業務が労使の十分な意思疎通のもとに行われていたことは否認する。その余の事実は知らない。

(三)  同2(二)の事実のうち、予備要員を第一運転所では一定のパート毎に配置していたこと、第一運転所では当初グループ・パート間交流が行われていなかったこと、台検の勤務体制を債権者主張のころから特別勤務六形に変更されたことは認めるが、その余の事実及び主張は争う。

仮に職員に、何らかの解明のための質問権を認める余地があるとしても、その方法には当然制約があるというべきであって、債権者のように職場規律を混乱させるやり方が適法視されることはあり得ない。

(四)  同2(三)の事実及び主張は争う。

3  同3の事実及び主張は争う。

4  同4の事実のうち、債権者主張の内容の「昇給の実施に関する協定」が存すること、債権者が所属長から所定の注意を受けることなくその主張の昇給を受けたことは認めるが、その余の事実及び主張は争う。

債権者主張の昇給を判断するに当って、その判断の対象となった第一運転所に在勤した期間が僅かであったから、同所における勤務成績が普通であったとはいえないのみならず、普通の昇給をしたことと懲戒事由による処分とは異なる観点によってされるものであるから、債権者の主張は理由がない。

また、同年四月から九月までの期間とその前の期間とにおける債権者の行為は同様であったから、懲戒処分が不適法になるとの債権者の主張は、理解に苦しむが、債権者が同年八月ごろからますますその行為をエスカレートしたことは既に主張のとおりであり、そのため債務者は債権者に対し懲戒権の行使を決断せざるを得なかったのである。

5  同5の事実のうち、債権者がその主張の通りスト処分以外個人的行為で懲戒処分を受けたことはなく、昇給も順調であったこと、債権者が管理者の身体に対し直接暴力を加えて肉体的傷害を与えたものでないことは認めるが、その余の事実及び主張は争う。

債権者に処分歴がないからといって直ちに本件懲戒処分が裁量権を逸脱するものとはいえないし、また債権者の行為は、管理者に対し直接肉体的暴力を加えたものではないが、上司の机を叩いたり、その机を上司の面前で引きずりまわしたり、上司の掛けている椅子の肘かけを蹴とばしたり、あるいは煙草の煙を顔面にふきかけたり等の行為を、執ように毎日のように繰返したもので、管理者に対し直接肉体的暴力を加えると同等に評価することができるから、他の処分事例と比較しても重きに過ぎることはない。

6  本件処分の正当性について

国鉄法三一条一項は、債務者の職員で懲戒事由に該当した場合に、懲戒権者である債務者の総裁は、懲戒処分として免職、停職、減給、または戒告の処分をすることができる旨を規定しているが、懲戒事由に当る行為をした職員に対し総裁が右の各処分のうちどの処分を選択するかを決定するに当っては当該行為の外部に表われた態様のほか、その原因、動機、状況、結果等を考慮すべきことはもちろん、さらに当該職員のその前後における態度、懲戒処分等の処分歴、社会的環境、選択する処分が他の職員及び社会に与える影響等諸般の事情を総合考慮した上で、債務者の企業秩序の維持、確保という見地から考えて相当と判断した処分を選択すべきであるが、その判断については、懲戒権者の裁量が認められているというべきであるから、懲戒権者が裁量権に基づいてした懲戒処分は、それが著しく合理性を欠き、社会常識上到底是認できない場合を除き、これが無効となることはないというべきである。

ところで、債務者は、従前国家がその行政機関を通じて直接に経営してきた国有鉄道事業を中心とする事業を引き継いで経営し、その能率的な運営によりこれを発展させ、もって公共の福祉を増進することを目的として設立された公法上の法人で、その資本金は全額政府の出資によるものであり、その事業の規模が全国的且つ広範囲に亘るものであって、それ自体「極めて高度の公共性を有する」ものであるが、このような「公共の利益と密接な関係を有する事業の運営を目的とする企業体においては、その事業の運営内容のみならず、さらに広くその事業のあり方自体が社会的な批判の対象とされるのであって、その事業の円滑な運営の確保と並んで、その廉潔性の保持が社会から要請ないし期待されているのである」から、このような社会からの評価に即応して、その企業体の職員に対しては、公務員と同様に「一般私企業の従業員と比較してより広い、且つより厳しい規制がなされうる合理的な理由がある。」とされている。

しかも公知のように、債務者は、多額の負債を抱え、その再建が国家的緊急課題となっているなかで、債務者における職場規律の乱れに対しては、国民のかつてない厳しい批判が向けられており、国鉄再建の第一歩としてまずその職場規律の確立と、これによる効率的運営が求められているので、債務者としても、従来の悪慣行を是正し、職場規律を確立することが自らの再建のための最重要事項であることを認識し、そのため鋭意努力しているところである。

このような社会情勢のもとで、債権者の非違行為をみると、全く言語道断と言わざるを得ない。

第一運転所は、東北新幹線開業に伴い新幹線車両の検修基地として多額の投資によって建設され、近代設備を有し、新しい業務を遂行する債務者の最先端の職場であり、他の職員は大いに意欲的に業務に従事していたのであるが、債権者は、債務者の職員としての立場を自覚せず、連日のように管理者に対し、いたずらに業務を妨害し、管理者を困惑させるだけの目的で、いやがらせを繰り返し、その業務を妨害し、そのことにより職場を暗くして、他の職員の労働意欲を削ぎ、その行動については他の職員からもひんしゅくを買っていたのである。

しかも、債権者は、昭和五七年四月九日に伊藤第一運転所長より管理者の指示に従わないこと、罵声等を発することが多いこと、早退が多すぎることを指摘され、自制しなければ大変なことになると注意されながら、何ら反省することなく、ますます増長して暴言や暴力的行動を繰り返し行ったものであるから、このような職員を公共企業から排除することは止むを得ないものというべきである。

民間企業においては、債権者のような行為の一端でもしたならば即日解雇となることは明らかであって、この一事からみても本件処分は、社会的に是認されるべきものであり、本件懲戒処分は懲戒権の濫用に当るものではない。

第三疎明

本件記録中の書証目録、証人等目録記載のとおりである。

理由

一  雇用契約の締結

申請理由1(一)の事実は当事者間に争いがない。

二  抗弁

1  解雇の意思表示

債務者主張の懲戒処分の意思表示がなされ、それが債務者主張のように債権者に到達したこと及び債務者主張の就業規則の存在は、いずれも当事者間に争いがない。

2  処分事由の存否

(一)  点呼不参加、妨害行為の有無

(1) 抗弁2(一)の(1)、(2)の各事実について

債権者が右(1)、(2)記載の点呼に参加しなかったことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、その余の各事実が疎明される。

(2) 同2(一)の(3)の事実について

債権者らが他の職員らと椅子を点呼場所に持ち込み、これに掛けて点呼を受けたことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、その余の事実が疎明される。

(二)  暴言行為等の有無

(1) 同2(二)の(1)の事実について

債権者が、年休のため実習を受けなかった項目についての補習をするかどうかを村田助役に質問したことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、その余の事実が疎明される。

(2) 同2(二)の(2)の事実について

債権者が年休抑制について村田助役に抗議したことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、その余の事実が疎明される。

(3) 同2(二)の(3)の事実について

債権者が見習を付けられたことに抗議したことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、その余の事実が疎明される。

(4) 同2(二)の(4)の事実について

債権者が片桐の年休拒否について大信田一科長に抗議したことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、その余の事実が疎明される。

(5) 同2(二)の(5)の事実について

(証拠略)によれば、右の事実が疎明される。

(6) 同2(二)の(6)の事実について

債権者が見習の付け方に抗議したことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、その余の事実が疎明される。

(7) 同2(二)の(7)の事実について

債権者が早退を拒否され、鈴木所長に早退許可の基準となる社会通念について質問し、早退の拒否につき抗議したことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、その余の事実が疎明される。

なお、(証拠略)によれば、当時の第一運転所の日勤勤務者の勤務時間は午前八時四〇分出勤、同五〇分点呼、午後五時一五分終業となっていたことが疎明される。

(8) 同2(二)の(8)の事実について

(証拠略)によれば、右の事実が疎明される。

(9) 同2(二)の(9)の事実について

(証拠略)によれば、右の事実が疎明される。

(10) 同2(二)の(10)の事実について

債権者が、四月中の出勤簿に早退否認の処理がなされていないし、また処理がなされたことを聞いていない旨大谷二科長に抗議したことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、その余の事実が疎明される。

(11) 同2(二)の(11)の事実について

債権者が六月三日午前九時に田島助役に対し同月六日の年休請求をし、今晩まで返事をくれと申し入れたことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、その余の事実が疎明される。

(12) 同2(二)の(12)の事実について

債権者が助役等と電話で一日交検の講習についてやり取りをしたこと、債権者が二科助役室に入ったこと、以上の事実は当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、その余の事実が疎明される。

(13) 同2(二)の(13)の事実について

債権者が、債務者主張の者らと、台検助役室で、鈴木助役に対し相沢の年休要求をしたことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、その余の事実が疎明される。

(14) 同2(二)の(14)の事実について

債権者が門間と共に交検の回しについて笠木助役等に説明を求めたことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、その余の事実が疎明される。

(三)  暴力行為等の有無

(1) 抗弁2(三)の(1)の事実について

小島検修係の年休が認められなかったため、債権者が門間、熊谷、鈴木らと共に右年休を認めるよう要求し、年休の取扱いについて説明を求めたことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、その余の事実が疎明される。

債権者は、債権者らが大谷二科長の机につめより、強く抗議した際、足が机に当り、机の一方の脚がわずかに浮いたにすぎず、暴力的行為がなかった旨主張し、(証拠略)には、右主張にそうが如き記載ないし供述が存するが、前掲採用の各証拠に照らして採用できない。

(2) 同2(三)の(2)の事実について

債権者が年休拒否について抗議したこと、その際債権者が煙草を喫っていたことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、その余の事実が疎明される。

(3) 同2(三)の(3)の事実について

債権者が助役等に年休を要求し、その拒否に対し抗議し、その際渡邊助役が写真を撮ったことに抗議したことはいずれも当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、その余の事実が疎明される。

債権者は、年休カードを大谷二科長の目の前に突き出して見せたにすぎず、年休カードで同科長の顔をたたいていないし、また、同科長の椅子に債権者の足が触れて少し移動したもので、蹴ってはいない旨主張し、(証拠略)には、右主張にそう如き記載ないし供述が存するが、前掲採用の各証拠に照らすと、到底採用できない。

(四)  業務妨害行為の有無

(1) 同2(四)の(1)の事実について

(証拠略)によれば、右の事実が疎明される。

(2) 同2(四)の(2)の事実について

管理者側がくじ引で人選を行おうとしたことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、その余の事実が疎明される。

(五)  早退等強要行為等の有無

(1) 同2(五)の(1)の事実について

(証拠略)によれば、右の事実が疎明される。

(2) 同2(五)の(2)の事実について

債権者が歯痛のため早退の申込をし、助役から診断書をもらってこいと言われ、病院に行ってみないと、診断書がもらえるかどうか分らない旨答えて、早退を拒否されたことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、その余の事実が疎明される。

(3) 同2(五)の(3)の事実について

債権者が見習の張り付けについて助役等とやり取りしたことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、その余の事実が疎明される。

(4) 同2(五)の(4)の事実について

(証拠略)によれば、右の事実が疎明される。

(5) 同2(五)の(5)の事実について

債権者が瞼に腫物が出たので直ぐに病院に行かせて欲しいと申し入れて拒否されたことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、その余の事実が疎明される。

(6) 同2(五)の(6)の事実について

債権者が年休をとって車両検修係の講習を受けなかった項目の補講習実施の有無につき質問し、補講習しないとの回答につき、その理由の説明を求め、その説明に抗議したことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、その余の事実が疎明される。

(六)  業務拒否、業務指示拒否等の行為の有無

(1) 同2(六)の(1)の事実について

債権者が見習張り付けに抗議し、その撤回方を助役に申し入れたことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、その余の事実が認められる。

(2) 同2(六)の(2)の事実について

(証拠略)によれば、右の事実が疎明される。

(3) 同2(六)の(3)の事実について

債権者が債務者主張の講義を受けなかったことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、その余の事実が疎明される。

(4) 同2(六)の(4)の事実について

債権者が引越をしなかったことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、その余の事実が疎明される。

(5) 同2(六)の(5)の事実について

債権者が年休の扱いについて抗議したことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、その余の事実が疎明される。

(七)  職場離脱行為の有無

同2(七)の(1)、(2)の各事実について

いずれも当事者間に争いがない。

(八)  遅参、早退行為の有無

同2(八)の(1)ないし(3)の各事実について

いずれも当事者間に争いがない。

(証拠略)の就業規則一二条には、職員が遅刻する場合には所属長に予めその理由を具して届出でその承認を得なければならず、病気その他の事故により止むを得ず予め届出ることができなかったときは、事後速やかに届出てその承認を受けなければならないものと定められていることが疎明される。

そして、右(1)の〈1〉〈2〉〈4〉〈5〉については、債権者が事後届出していることは債権者本人尋問の結果により疎明される。

右(1)の〈3〉につき、(証拠略)、債権者本人尋問の結果中には、無断遅参でないとの記載ないし供述があるが、(証拠略)に照らして採用できず、他に無断遅参でないことを疎明する資料はない。

(九)  突発年休請求等の行為の有無

同2(九)の事実について

突発年休が業務の能率的運営を阻害し、非協力的態度であるとの点を除き、その余の事実はいずれも当事者間に争いがない。

突発年休請求いわゆるポカ休が業務の遂行に支障を与えることは公知の事実である。

3  就業規則六六条該当の有無

(一)  債権者の前記2の(一)ないし(五)、(六)の(1)ないし(4)、(七)、(八)の(1)の〈3〉、(八)の(2)、(3)の各行為は、それぞれ右就業規則の債権者主張の条項に該当する。

(二)  債権者の前記2の(八)の(1)の〈1〉〈2〉〈4〉〈5〉の各行為は、前示就業規則一二条により事後すみやかに届出されているから、債務者主張の条項に該当しない。

(三)  債権者の前記2(六)の(5)の行為のうち、勤務変更に応じなかったとの点は、債権者が右変更に応ずるか否かは債権者の任意であるから、何ら指示違反にはならない。

しかしながら、右に関連して、田島助役になした発言は上司を侮辱するものであって、就業規則六六条一五号、一七号に該当する。

三  再抗弁(懲戒権濫用)

1  職場の問題解決のための正当行為であるとの主張について

前記二2の事実に、(証拠略)を合わせると、次の事実が疎明される。

(一)  債権者が他の職員と共に前記二2(一)(1)、(2)の事実の通り点呼に欠席したのは、債権者らが台検に着任した昭和五七年一月七日までは机や椅子のある台検二階詰所で点呼を行っていたのに、翌八日突如点呼場所を一階作業場に変更する旨通告してきた(この点は当事者間に争いがない)ので、点呼はその日の作業の連絡や具体的作業指示等を確認する場であり、各自それぞれ作業内容をメモする必要があることからこれまで通り机や椅子のある二階詰所で点呼をするように要求したが、管理者側ではメモをするようなことはないといって応じないため、反対の態度を示すためであった。

前記二2(一)(3)の事実の時も、債権者らはメモの必要があるとの考えで一階点呼場所に椅子などを持ち込んだものである。

なお管理者側では点呼修了後直ちに作業に就けるようにと点呼場所を変更したものであるが、現段階ではメモをとれる場所の方がよいとの意見が多数出たため、同月一四、五日ころに至って、元通り二階詰所で点呼を行うこととなった(点呼場所変更数日後、従前の場所に点呼場所を戻したことは当事者間に争いがない。)。

(二)  要員配置について、昭和五七年二月四日に七名をくじ引で配置したことがあったが(この点は当事者間に争いがない)、その際職員側でそのくじ引に反対したものの、今回限りという管理者側の意向でそれに応じた経過があり、さらに同年五月初めころにもくじ引で要員配置の人選を行おうとし、職員が反対して自主的に人選を行ったことがあったところ、同年六月二三日の開業を目前にして早急に配置換えを行う必要に迫られ、前記二2(四)(2)の事実の通り調整が出来ず、配置未決定の一二名のうち四名を希望外の台検に配置換えしなければならなくなった。そこで、管理者は、右二2(四)(2)認定の理由でくじ引で台検に配置換えする者の人選を行うこととしたが(くじ引で人選を行おうとしたことは当事者間に争いがない)、債権者や門間らは、その人選の対象に入っていないのに、前記経緯や要員配置をくじ引で行うのは不合理なのであくまで調整で行うべきであるなどとしてくじ引による人選を阻止するべく、右二2(四)(2)認定の通り累々発言し、これを妨害した。そして、翌一八日も同様債権者の妨害発言があってくじ引による人選が出来ず、結局管理者側では指名による人選を行うこととし(このように債権者らの反対でくじ引を断念したことは当事者間に争いがない)、翌一九日朝の点呼時にその結果を発表した。

なお債権者主張のグループ、パート間交流が確立されていれば、人選の調整はそれほど紛糾しなかったものと推測されるが、配置要員数は、局・地本間の団体交渉によってグループ毎にその就業体制の状況に応じて決められていた関係で、開業前においては要員数が不確定であったことや、新幹線電車の修検には高度の技術力を要し、業務に従事できるまでに長期間の養成が見込まれていたため、グループ、パート間交流の確立といっても早急に出来る状況にはなかった。それでも、昭和五六年一二月に、台検と他のグループ間の交替について、台検開始後一年間固定しその後については作業の習熟度等を勘案しながら実施するとの協定が成立しており、また昭和五七年五月ころから交検パート内における担当業務の交替についていわゆる現場協議がなされ、同年七月下旬合意が成立し同年八月一一日から実施されている(本件懲戒処分後の昭和五八年三月ころからも、管理者側が新たな交流の方針を示して実施している。)。

(三)  債権者は管理者に対し前記二2(二)(3)、同二2(六)(1)の事実の通り述べて見習の張り付けに抗議したところ、騒ぎを聞いて組合の役員が間に入り、そのとりなしで右各当日は債権者より習熟度の高い職員に見習を張り付け、債権者には見習の張り付けをしなかった(見習を外したことは当事者間に争いがない。)。

債権者は、同年三月一七日以前数日間交検の見習をしただけであり、本番に従事すると同時に右の通り見習を張り付けられたため右抗議に及んだものであった。

しかし、債権者はそれ以前に鉄道学園等で学習を三か月程度受けており、交検の見習は作業手順や消耗品取り替え等に伴う部品の置き場所を知るためになされるにすぎないため、本番の業務に従事する能力があれば見習を付けても支障が生じるようなことはなかった。もとより、習熟度の高い職員に見習を付けるのが適当ではあるが、開業が迫っていたためこれに間に合わせるべく早急に職員をして本番の業務に従事できるよう養成する必要があったことや、職員のやりくりから止むを得ず債権者のように習熟度の低い者にも見習を張り付けざるを得ない実情であった。それでも、見習の張り付けに抗議し拒否したのは、債権者と門間だけであった。

なお債権者は、前記二2(二)(6)、同(五)(3)の事実の通り本番を幾度か経験した同年四月七日以降に至っても、見習の張り付けに拒否的態度を示していた。

(四)  前記三1(二)認定の通り現在ではかなりグループ、パート間交流が実施されており、年休調整も他グループ、他パート間でも可能となっているが、実際は予備要員をパート毎に固定していることもあって、現在でも長期の病欠者がいる場合とか突発年休の申し出があったような場合以外は、各パート間にまたがる調整は行われていない。

そもそも債権者から非違行為とされる行為がなされた際に管理者に対し交流の実施について提言がなされたり、その促進が求められた形跡はなく(前記二2(二)(14)の事実の場合も、前記三1(二)認定のパート内担当業務交替についての合意内容に関して説明を求めているにすぎない。)、また債権者の右提言によって右交流が実施されるに至ったものでもない。

(五)  年休請求は年休票で行うのが正式の手続であるが、第一運転所ではその整理の便宜のため年休補助簿を備え付け、その予備要員の枠の個所に赤線を引き年休請求者に予め年休取得の見込みが分かるようにしており(この点は当事者間に争いがない。)、これによって職員が自主的に調整して年休を取得することが期待されていた。右補助簿への記載は年休請求者にさせていたが、右記載に応じない場合は管理者において記載しており、右記載を強制している訳ではなかった。管理者は、年休請求者が右赤線に達すると、特別の事情のある者以外は、年休請求者に赤線枠内の者との話し合いを推めるだけで特に年休調整せず(特別事情があれば、他のパートからでも代替要員を確保していた。)、年休請求を認めない傾向があった。前記(三)(1)、(3)の事実等の場合も債権者はいずれも同様にして(但し、右(三)(3)の事実の場合は月遅れ盆のため、赤線枠内と先順位年休請求者との調整を試みたが調整できなかった。)年休請求を拒否されたため、何故年休請求を認めないか質問ないし抗議し(年休請求が拒否され、これに債権者が抗議したことは当事者間に争いがない。)、これに対する管理者側の返答に不満で暴言等に及んだものであった。

なおパート間等の交流が促進され、年休調整も各パート間にまたがって出来ることになると、年休取得の可能性が大きくなることが推測される。

右各事実に照らして考えると、債権者が点呼場所の変更に反対して点呼に出頭しなかったり、くじ引、見習の張り付け、年休等の問題について管理者に質問し、あるいは抗議した動機、背景等にはそれなりに理解できるものである上、管理者側の対応にも全く問題がなかったとは言えないけれども、例えば、点呼場所の変更問題にしたところで、その点呼場所変更が違法不当なものであったとは言えないから、その変更に不服だからといって管理者側の指示に従わず新たな点呼場所に出頭しないなどのことが正当化されるいわれはなく、またくじ引や見習の張り付けなどについても、管理者側にそうしなければならない止むを得ない事情が存したのであるから、債権者のそれらの問題についての抗議等を必ずしも全面的に当を得たものとして肯認することはできない。

のみならず、例えその動機、背景において正当な抗議等の行動であったとしても、本来それら指摘の問題は、その所属する労働組合を通じて管理者側との交渉により解決するのが相当であるというべきであるし、質問や抗議等の名目で、上司の業務上の指示に服さず、業務を妨害したり、上司に対し暴言、暴力的行為に及ぶなどのことは明らかに行き過ぎで、著しくその手段方法を誤るものというべきであるから、到底正当な行為と評価することはできない。

従って、右暴言等の行為を理由に懲戒処分に付したとしても、違法不当であるとはいえず、債権者の主張は理由がない。

2  正当な組合活動であるとの主張について

(証拠略)を合わせると、次の事実が疎明される。

(一)  第一運転所は、東北新幹線開業に伴う新設の職場で、在来新幹線あるいは在来線の種々の職場から派遣された職員によって構成されるため、昭和五七年一月当時、職務体制は未だ確立されておらず、労働組合の組織体制も急がれたため、債権者が当時所属していた動労では、かねてから基本運動方針として組合活動家の意識的送り込みを図っており、動労仙台運転所支部で新幹線担当の特別執行委員をしていた債権者もこの方針に沿って同月転入し、同年五月一一日動労仙一運支部の青年部副部長に就任した。

(二)  債権者は、かねてから動労がその基本的活動方針として、各職場の問題についてはその現場において組合員から管理者に対し直接解明を求め、その話し合いの中で個々的に解決して行くとの職場闘争を重視しているものと認識していたので、第一運転所に転入後も、他の動労活動家と共に、年休問題等在来線職場と比較して改善すべき問題を取り上げ、在来線方式の職場慣行、特に点呼時、手待ち時間時における解明要求という仙台運転所と同様の慣行の確立を目指して行動していた。

(三)  本件懲戒処分事由である暴言等の行為は、管理者が点呼場所などにおける債権者らの右解明要求に正面から対応せず、作業に就くよう指示するなどして助役室に退いてしまうなどのため、債権者らも助役室に赴いてさらに解明を求めて質問し、あるいは抗議を行うという状況となって、その過程で多くが発生している。

なお、右のような状況のもとで、時に債権者らのみでなく管理者側も大声で応酬したということもないではなかった。

(四)  ところで、本件懲戒処分につき、債権者から救済申し立てがなされたのを受けて、動労本部が調査した結果、債権者は組織的対応を承知していながら勝手な行動をとっていたと断じ、支部指導を無視し機関決定に違反するものであるなどの理由で救済を拒否し、逆に債権者を昭和五八年六月に組合権五年停止の統制処分に付した。

右の事実に照らして考えると、債権者の解明行為等の行為が、そもそも当時債権者の所属していた動労の活動方針に沿ったものであったとみることができないし、本件懲戒処分の理由となった暴言等の各行為がいずれも勤務時間内になされたものであることは既に疎明された事実によって明らかであるから、その暴言等の伴った解明行為等を組合活動として許容することもできない。

のみならず、仮に動労の活動方針に従った行動だったとしても、暴言等の行為にまで及んだその解明行動等の方法態様は、管理者側の対応にも右疎明の通り問題があったことを考慮に入れても、著しく節度を欠くものというほかなく、到底正当な解明行為等と評することはできない。

従って、右暴言等の行為を理由に懲戒処分に付したとしても違法不当であるとはいえず、債権者の右主張もまた理由がない。

3  早退、遅参、突発年休等を理由とする処分は、差別的取り扱いであるとの主張について

右各行為が個別的にも多数回に亘りなされているところ、その一部が未だ懲戒処分事由に該当しないことは、既に説示の通りであるが、いずれにしても、本件懲戒処分が右行為のみによって発令されたものでないことは明らかであり、他に同程度の頻度の早退者等が仮に存したとしても、その者と差別的取り扱いをしたものとは認め難く、本件懲戒処分が不当であるとはいえない。

従って、債権者の主張は理由がない。

4  昇給前の行為を理由とする処分は不当であるとの主張について

債権者が昭和五七年四月に所定の注意を受けることなく昇給したことは当事者間に争いがないが、昇給と懲戒処分は別個の観点より判断されるべきものであるから、それらの行為を懲戒処分事由に含めても直ちに不当であるということはできず、右主張もまた理由がない。

5  本件懲戒処分は行為の態様や処分歴等に照らし重きに過ぎるとの主張について

(一)  債権者は直接管理者の身体に暴行を加えて傷害を与えたものではないこと、そして、債権者は昭和五五年一二月と同五六年一二月に、五五年春闘、五六年春闘の際のストライキに参加したことを理由にそれぞれ戒告と訓告の懲戒処分を受けたことがあるだけで、その他に個人的行為を理由に処分を受けたことはなく、昇給も順調になされたことは当事者間に争いはなく、そこで、債権者は、いきなり免職処分に付した本件懲戒処分は懲戒権の濫用であると主張するものである。

(二)  ところで、懲戒権者たる債務者の総裁は、懲戒事由に当る行為をした職員に対し、国鉄法三一条一項所定の、免職、停職、減給又は戒告の懲戒処分のうち、どの処分を選択するかを決定するに当っては、懲戒事由に該当すると認められる行為の外部に表われた態様のほか右行為の原因、動機、状況、結果等を考慮すべきことはもちろん、さらに、当該職員のその前後における態度、懲戒処分等の処分歴、社会的環境、選択する処分が他の職員及び社会に与える影響等諸般の事情を総合考慮したうえで、債務者の企業秩序の維持確保という見地から考えて相当と判断した処分を選択すべきであり、その判断については、国鉄法や前記就業規則に処分選択についての具体的基準が定められていないので、懲戒権者の裁量に委ねられているものと解される。従って、懲戒権者の処分選択が、当該行為との対比において甚だしく均衡を失する等社会通念に照らして著しく合理性を欠くものでないかぎり、それは懲戒権者の裁量の範囲内にあるものとしてその効力を否定することはできないというべきであり、この理は、懲戒権者が免職処分を選択する場合にも異なるものではなく、ただ重大な結果を招来するので、他の処分の選択に比較して特別に慎重な配慮を要するということができる。

(三)  以上の観点から、本件懲戒処分が裁量権濫用の違法なものか否かについて検討するに、債務者の経営が財政的に危機的状態にあって、国民に過大な財政的負担をかけているため、その再建が国家の緊急かつ重要な課題となっていることは公知の事実であるところ、(証拠略)によれば次の事実が疎明される。

昭和五七年一月に発覚した債務者の東京機関区におけるブルートレインの「ヤミ旅費支給問題」に端を発し、債務者の職場管理の実態に対する世論の批判が厳しくなり、同年三月四日、運輸大臣から債務者総裁に対して、国鉄の再建のためには国鉄の労使関係を健全化し、職場規律の確立を図ることが必須の条件であるとして、いわゆるヤミ手当や悪慣行全般について実態調査を行なう等総点検を実施し、その調査結果に基づき厳正な措置を講ずることが必要である旨の指示がなされ、これを承けて、翌五日債務者総裁から総点検指示と是正通達が出され、同年四月二六日の全国管理局長会議において総点検に基づく総裁訓示がなされたこと、そして、同年七月三〇日に出された臨時行政調査会基本答申においては、国鉄が当面とるべき緊急の措置として、職場規律の確立を図るため、職場におけるヤミ協定及び悪慣行を全面的に是正し、現場協議制度は本来の趣旨にのっとった制度に改めると共に、違法行為に対しての厳正な処分、昇給昇格管理の厳正な運用、職務専念義務の徹底等人事管理の強化を図ることが提言され、これを承けて、同年九月に、右答申に沿った閣議決定がなされたこと、第一運転所でも右一連の動きに従って、昭和五七年一月ころから、管理者の間に、同所にも存する突発年休、無断早退等や勤務時間内組合活動等悪慣行を是正しなければならないとの気運が生じ、前記総裁の是正通達などを承け、同年三月ころから、悪慣行是正に向けて諸法規に従った厳正な取り扱いを現実に実施することになった。

右事実に照らすと、本件懲戒処分事由たる債権者の各行為は、悪慣行等のはびこる債務者の職場の実態に対する世論の厳しい批判が上り、その是正の努力がなされている最中に、それに背を向けるようにしてなされたものということができる。

さらに、前記二2の事実に照らすと、債権者は年休カードで大谷二科長の顔を二回叩いているし、上司の目前でその身近にある机を叩いたり持ち上げたりするなどしたほか、煙草の煙や息を上司の顔に吹きかけるなどの行為に及んでいる上、度々侮辱的言辞や声高の乱暴な言葉で上司を追求したり、年休などを強要し、あるいは上司の顔に顔を近接させるなどの陰湿ないやがらせを行うなどしていたばかりか、業務を妨害したり上司の業務上の指示を無視しこれに応じないなどの行為を繰り返していたもので、上司に対し傍若無人に振舞っていた感を免れず、その態様は極めて悪質であり、しかも右暴言等の行為は、作業着手前あるいは作業修了後などであるとはいえ、いずれも勤務時間内になされている上、多数の職員の面前でなされたり、上司の注意や制止を無視して執拗になされたものもあるなど、著しく職場の規律を乱すものであったことが明らかである。

そして、点呼不参加や職場離脱の行為、遅参、早退、年休等が多数回なされていることなどを合わせ考えると、債権者は、上司に対し、攻撃的反抗的で協調性に欠ける上、規範意識も薄弱であり、勤務態度も良好でなかったということができる。

加えて、(証拠略)によれば、債権者は個人的事由で懲戒処分こそ受けていないものの、昭和五七年四月九日に第一運転所の伊藤所長に所長室に呼ばれ、債権者が上司の指示に従わない上、罵声を上げたり早退が多いことなどを指摘され、自制しないでこの状態を続けると大変なことになる旨注意されていることが疎明されるのであって、結局債権者は右注意を受けていたにもかかわらず、その後も反省の態度を示すことなく前記二2の事実の通り暴言等の各行為に及んでいたことになり、しかも右二2(三)の事実の通り却って次第に過激な行為に及ぶようになったことから、戒告等の処分を経ずに本件懲戒処分の発令に至ったことが窺われる。

6  以上の諸点に加え、既に認定判断した諸事情を総合考慮すると、債務者が本件懲戒処分において債権者の懲戒処分事由に該当する前記各行為につき免職処分を選択した判断は、その選択にあたって特別に慎重な配慮を要することを勘案しても、著しく合理性を欠くものとはいえず、未だ裁量権の範囲を逸脱した違法なものとは断定することができない。

なお債権者は、従来の債務者の職員に対する懲戒処分例によれば、免職処分を受けたのは相手の身体に直接暴力を加えたり傷害を負わせたりしている場合だけであり、本件懲戒処分は重きに過ぎると主張するけれども、仮に従来の処分例がそうであったとしても、前認定の粗暴行為の態様やそれが多数回に亘ってなされていることなどの諸事情に照らすと、本件懲戒処分が従前のそれと比し重きに過ぎて裁量権の範囲を逸脱しているものとは認め難い。

従って、債権者のこの点の主張もまた理由がない。

7  以上検討したところによれば、債権者の再抗弁たる懲戒権濫用の主張は、いずれの点においても理由がなく採用することができない。

四  結論

以上の次第で、債権者と債務者間の雇用契約は終了しているから、本件仮処分申請は、その被保全権利を欠くことになり、保証をもってこれに代えることは相当でない。

よって、債権者の本件申請を失当として却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤貞二 裁判官 佐々木寅男 裁判官 浦木厚利)

日本国有鉄道就業規則

第六六条 職員に次の各号の一に該当する行為があった場合は、懲戒を行う。

(1) 日本国有鉄道に関する法規、令達に違反したとき。

(2) 責務を尽さず、よって業務に支障を生ぜしめたとき。

(3) 上司の命令に服従しないとき。

(4) 部下に対し不法不当の命令を発したとき。

(5) 部下の指導監督に欠くるところのあったとき。

(6) 故なく職場を離れ又は職務に就かないとき。

(7) 注意を怠り業務上の事故を惹起したとき。

(8) 事故防止等に関して有効な助言、諫止又は援助をなさず、よって事故発生又は損害を拡大せしめたとき。

(9) 旅客又は荷物の取扱に関して不正な行いのあったとき。

(10) 物品又は財産を不当に損壊、破失、又は私用に供したとき。

(11) 金銭物品の取扱若しくは土地家屋等の売買に関して不正の行いのあったとき。

(12) 無賃乗車証の発行行使に関して、不正の行いのあったとき。

(13) 職務上の機密をもらしたとき。

(14) 懲戒せらるべき事実を故意に隠ぺいしたとき。

(15) 職務上の規律をみだす行いのあったとき。

(16) 職員として品位を傷つけ又は信用を失うべき非行のあったとき。

(17) その他著しく不都合な行いのあったとき。

第六七条 懲戒処分は次の通りとする。

(1) 免職

(2) 停職

(3) 減給

(4) 戒告

二 懲戒を行う程度に至らないものは訓告する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例